更新日 2023.5.26
災害の記憶を
つなぐ
大学女性協会 [編]
46判 縦組み 216頁
定価(本体1,800円+税)
(2023.5.21)
 
統合失調症急性期
看護学
患者理解の方法と
理論にもとづく実践
阿保順子 岡田実
東修 那須典政 [共著]
B5判 2色 176頁
定価(本体2,500円+税)
(2021.9.16)
ミューチュアル・
アクションリサーチ
M.ニューマン“拡張する意識とし
ての健康”の理論にもとづく
質的・実践的・協働的看護研究法
三次真理 遠藤惠美子
[共著]
A5判 200頁
定価(本体2,500円+税)
(2021..5.25)
   
人間の「つながり」
と心の実在
意味のある偶然あるいは
超常的な事実の心理学
笠原敏雄  [著]
A5判  上製 550頁
定価(本体6,800円+税)
(2020.2)
 
回想アクティビティ
ハンドブック
バーニー・アリゴ
梅本充子  中島朱美
[共著]
A5判  2色 296頁
定価(本体3,300円+税)
(2018.6)
 
自殺未遂患者に対する看護師の態度と
その変容
救命救急センターの看護師を対象
とした質的・量的研究
瓜﨑貴雄 [著]
A5判 144頁
定価(本体2,700円+税)
(2017.1)
           

新刊(2023年5月21日発行)・・・発売中

『災害の記憶をつなぐ』


大学女性協会 [編]
46判、並製(ジャケット、帯),216頁
定価:1980円(本体1800円+税)
ISBN978-4-902630-31-2

昭和、平成の災害の記憶を風化させないために、次世代へ語り継ぐ。発災直後の体験、その後の生活対処、支援、さまざまな気づき。防災対策、被災者支援、復興事業に不可欠なジェンダー/女性の視点。災害は「忘れたころにやってくる」のだとすれば、災害への備えの第一は、災害の歴史とともに被災体験の事実を「忘れないこと」でなければならない。50代~90代(阪神淡路大震災当時60代)の70名を超す女性たちの発言集。


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...........2023.5.26

新刊(2021年9月16日発行)・・・発売中
『統合失調症急性期看護学 
―患者理解の方法と理論にもとづく実践』

阿保順子 岡田実 東修 那須典政 [共著]
B5判、並製(表紙:雁垂),2色刷、176頁
定価:本体価格:2,500円+税
ISBN978-4-902630-30-5

精神科看護の専門性がもっとも問われる統合失調症急性期看護をテーマに掲げた唯一の本であり,患者理解の方法(独自の理論モデル)をふまえることで統合失調症の看護が「わかる」と定評の『統合失調症急性期看護マニュアル』(2004年初版,2009年改訂)を全面的に刷新。“精神構造と保護膜”理論の現時点における決定版を期した。さらに,理論以前の基本的に重要な倫理,実践知,処遇,治療に関しても新たにページを割くことにより,総合的な学習ニードに応える一書に進化した。それに合わせて書名も一新,精神科看護師の専門的実践を支える「看護学」を標榜する。

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...........2021.9.13

新刊(2021年5月25日発行)
『ミューチュアル・アクションリサーチ
──M.ニューマン“拡張する意識としての健康”の理論にもとづく質的・実践的・協働的看護研究法』

三次真理  遠藤惠美子 [共著]
A5判、並製(ジャケット)、200頁
定価:本体価格:2,500円+税
ISBN978-4-902630-29-9

ミューチュアル・アクションリサーチ(MAR)は、M.ロジャーズやM.ニューマンの看護理論を踏まえたプラクシスであり、看護ならではの実践的・質的な研究方法であり、著者(遠藤)を創始者とする。研究者と研究対象者が相互的な関係(パートナーシップ)を結び協働的に研究を推進し、目標に向かうプロセスを重視する方法の意義を論じるとともに、MAR実施の手引きとして、プロセスの各局面における具体的な留意点をまとめた。MARの魅力と醍醐味は、当事者の主観的な“願い”に発して、「らせん状に進化する」研究のプロセスそのものにある。それを伝える実際例の紹介に多くのページを割いたのも本書の特徴。さらに、理解を深めるために、M.ニューマン論(補章-1)、質的研究方法論(補章-2)を加えた。
質的研究のニューパラダイムの宣言‼ ミューチュアル・アクションリサーチ(MAR)の入門書にして、決定版です。

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...........2021.6.9

新刊(2020年2月10日発行)
『人間の「つながり」と心の実在 
──意味のある偶然あるいは超常的な事実の心理学』

笠原敏雄 著
A5判、上製、550頁
本体価格:6,800円+税
ISBN978-4-902630-28-2

偶然でも,必然でもない。
数々のふしぎな出来事,唯物論では説明できない“奇跡”
“運命”“共時性”“憑依”・・・・・超常的な現象のパノラマから
浮かび上がる心の存在。進化論を射程に入れた論究。
「本書の目的は,人間の社会生活の中で起こる出来事には,通常の因果関係では説明できない“意味のある偶然”が存在し,そこには,人と人とを結ぶつながりのようなものが潜在している可能性が少なからずあることを明らかにすることにある。」(著者)
心の理論は新たな展開へ

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常備セット出荷(2019年9月)
常備店へ、新しい常備セットの出荷を完了しました。
小社の本を手にとってご覧いただける常備店(→こちら)を是非ご利用ください。

『回想アクティビティハンドブック』の紹介記事
・“ベストナース”2018年9月号、ブックレビュー
・“コミュニティケア”2018年9月号、BOOKS欄
・“地域保健”2018年11月号の情報BOX欄…評者は白井美樹(ライター)氏。

...........2020.3.3
ニュース続き
津波避難学 身体へのまなざし
看護師が行なう2型糖尿病患者の療養支援 がん看護から
高齢者のせん妄 ケアリング プラクシス
外来がん看護
エンパワメント支援の理論と実際
グループ回想法実践マニュアル
がん看護へのことづて コラージュを聴く
対人援助としてのコラージュ療法
本心と抵抗
自発性の精神病理
自殺の看護
考えるがん看護 暴力と攻撃への対処
精神科看護の経験と実践知
看護をとおしてみえる片麻痺を伴う脳血管障害患者の身体経験 認知症高齢者のリスクマネジメント
     
 編集雑記

2023年5月某日
 廃屋寸前のごとき小社ホームページに新刊情報の小さな灯をともす。今回も1年半のブランク。コロナ以降足かけ5年、売り上げは地を這い、生産点数は辛うじて4冊。これでは出版「業」を名乗るのもおこがましい? 正業の矜恃はあれど、生業ではない。出版自体が危機に曝されている中、展望なし、なす術もない様を見かねて、親切な外野からは廃業勧告の声が届く。やめるエネルギーがわかないなどとお茶を濁しているが、「その先のこと」を考えないのは無責任になると言われると答えに窮する。
  迫り来る年齢的限界の自覚はもちろんある。20年近く請け負ってきた某学会誌の仕事は昨年を限りに返上した。電子ジャーナル化のお手伝いは無理。というより「私の仕事ではない」ことをはっきりと意識した。生業ならば、時代の風潮になびく(しばしば「ニーズに合った」という表現が使われる)ことを仕事にしていかなければならないだろう。でなければ、必然的に「老兵は消え去るのみ」と相成る。自称「生涯現役」も、何のことはない、生業から見ればとっくに失業者の境遇なのであった。まあ、それは「自由業に定年なし」と言いかえれば主観的には済む話だが、そこではっと気づいた。もはや、私が仕事にしている本づくり(編集、製作、出版)は、自由業としてでしか遂行できなくなっている、ということに。
 もちろん、ここで言う「本」とは、紙に印刷された本物の本のことだ。電子媒体に保存されているのはデータであって、それ自体見ることも読むこともできない。パソコンもリーダーと呼ばれる装置も、電源なしでは使えないし、これ一台に何万冊「蔵書」できたとしても、プログラムが壊れれば終わりだろう。データも端末も本ではない。本物こそ本なのだと頑固に主張したい。
  電子書籍や電子ジャーナルが、重さと厚み(束:つか)をもった独立した一冊として存在し、装本の美しさが鑑賞の対象でさえあり得る、印刷、製本を経て出来上がる本と同列に「出版」という言葉で語られていることも腑に落ちない。元々の原稿は同じでも、供される利用形態はまったく違う。それなのに本を名乗るのはおかしい。例えば、原稿は、読めるけれど本ではない。コピーを複数とって配布しても、たとえそれを束にしたとしても、それを本と認識する人はいない。本の実物の複製、復刻版なら本である。そのように、「本」という言葉は明確なイメージを伴うものとして使われてきた。電子的な画面で読めることや、読むこと自体を否定する気持ちはないが、それを「読書」と言うことには抵抗がある。紙の本では得られない便利さやメリットを聞かされても、デジタル技術に慣れると有難みも薄れて、「そうでしょうね」と思うだけだ。電子ブックは「そのように利用できる手段」以上ではない。価格はその「使用料」なのであって、「本を買う」こととはまったく違う(因みに、本は再版制度による定価が付くが、電子になると定価でなくなる。その理由はここにあると私は理解している)のである。
  読書というと、フラゴナールの「読書する少女」を思い浮かべる。穏やかな気持ちでいつまでも眺めていたい、いい絵だ。他にも読書する姿(多くは女性像)を描いた名画がいくつもある。モデルが手にしているのは、もちろん本である。もしそれがスマホやタブレットだったりしたらどうか? 風刺画ならともかく、鑑賞に堪えない「迷画」となるしかないであろう。
  先日、菊地信義の『装幀余話』を書店で見つけ、即購入した。ぱらぱらとめくっていたら(本ならではの読書の一形態)、すごい言葉が目に飛び込んできた。曰く、本を読むと‘そこに「静まった心」がもたらされる’と。内容の面白さや知的興奮に読書の醍醐味を求めるのではなく、読書がもたらし得る格別な体験を、それらとは別の効用として指摘しているのである。私が想像するのは、ページをめくる指を休めてふと味わう、自分の中に沸いてくる思いを反芻するような感覚だが、その状態を心が静まるという言葉にし、その「静まった心」こそ「私の心」であるというのが、すごい。フラゴナールの絵にはその空気が描かれているようにも思えてきた。菊地は、そのような体験が可能なのは紙の本においてであると考える。本の物質性こそが絶対的に重要な意味をもつということを、さまざまな例をあげて説明している。電子メディアに対しては「物質性をないがしろにし、危うくする元凶」と断言。このあたり、いちいち腑に落ちる。紙の頁には裏表があり、匂いがあり、指の感触がある。それらの感覚は不変ではあり得ず、読む人によって多様に変化する。それが「鑑賞」の根拠となる。本も言葉も「モノとして」実感することの意味を踏まえ、「どうか紙の本を愛してください」と呼びかける菊地に心から同調する。
 その菊地も昨年逝ってしまった。それにしても、1万5千点以上の装幀を手がけたという仕事量のすさまじさに驚く。いちばん多いときは「年刊600冊、月に90冊やったことがあります」と、本人がインタビューに答えている。正業も生業も超えて、もはや神業(かみわざ)と言うしかない。
 今回は、新刊のタイトルに絡めて、コロナ「災害」下、ずっと感じていた社会的息苦しさについて考えさせられたことを記しておこうとも思ったのだが、やはり本の話になってしまった。


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