編集雑記 No.81〜100
No.100

2017年3月某日
 花粉に苦しめられている。先月はクシャミ鼻水で済んでいたが、今は薬に頼らないと呼吸困難。夜は睡眠不足で、薬の副作用もあるのか昼も頭が積極的にはたらかない。込み入った原稿編集の作業が、もう一息で見通しがよくなりそうなところまできているのに、うまく進まない。ストレスが溜まるばかりなので、一旦停止、その仕事からはしばし離れることにした。
 代わりに出荷に追われていると言いたいところだが、さしたる動きはない。書き入れ時であるべき新学期前にこれでは、出版の営業は苦しいが、採用品になる新刊を出していない結果なので仕方がない。で、何をしているかというと、返品在庫の表紙クリーニングや、カバーの掛け替え作業など、仕事はいくらでもあるのである。ため込んだ資料に目を通す時間もとっているのだが、忘れていたことがなんと多いことか。企画の芽を見つけても育てられていない。単なる思い付きは泡のように消えていくということだ。それに対しては反省よりも、つくづく己を知るだけである。できないことは捨てる。そんな感じで数日が過ぎた。
 まだ頭は薄曇りのままだが、明日は投げ出したデスクワークに戻ろう。花粉は今がピークと天気予報で言っていたのは1週間ほど前だったか。もう少しの辛抱で経過することを願う。

No.99

2017年1月某日
 年が改まっても去年の続きで、中くらいの目出度さからも遠い気分で過ごしている。返品額が売上額を超えていて取次への請求が立たない月末を迎えたお寒い実情を最初に明かしておくが、そんなことに今さら泣き言を並べるつもりはない。世界の雲行きがいよいよ怪しい大状況に縦皺が寄るのであり、我が小状況に直結する出版や読書に関係する現状も、考えれば考える程それに重なる重大事のように思えてくるのである。暮れに賀状の文面を考えていたとき、テレビから賢治の「雨ニモ負ケズ・・・」を朗読する声が聞こえてきた。警備会社のコマーシャルだった。心が静まるよりもムラッとして、そんなことを言っている場合かと突っかかりたくなった。安心も金で買えと言われるような時代に対して「いつも静かに笑って」なんていられるものか。それで「今年も怒り、嘆き、ぼやきを繰り返すことになるでしょう」などと賀状に書いてしまった。ここに書くのも、所詮そういうことになる。
正月休みに700頁を超える大冊、小田光雄『出版状況クロニクルW―2012.1〜2015.12』を読み上げた。著者は、出版不況ではない、危機なのだと繰り返す。販売額が減り続けていることと街から書店が消えていくことはパラレルであること、電子出版に望みをかけることの愚かさなど、その通り認めざるを得ない事実の記録が続くのであるが、注目すべきは、このように出版の危機が急速に進んでいるのは日本特有の現象なのだという指摘である。雑誌の配本システムとして発達した取次と再販制度への依存、その旧態依然が健全な市場形成を妨げている。それなのに、目先の「不況」対策に追われるだけで、必要な構造改革に立ち上がらない出版界の体質、それをリードすべき業界団体に責任の自覚がないことに批判の目が向けられている。危機の本質を内在的なものと考える著者の姿勢には共感を覚える。それゆえ、事実についての希望的観測は皆無、批判的に書かれていることばかりでも、出版の否定ではなく、著者自身は、出版の原点に立ち返って考えることに望みをつないでいるのだと思える。その点で、実業の現場を知ろうとしない学者や、思いつきの評論にうつつを抜かす売文家とは異なる。事実を丹念に拾うことを課した、小田のプロとしての仕事を多とする。しかし、その予見どおり、記憶に新しい2016年がさらに破綻が目立ち始めたことを知るだけに、読後、暗澹たる思いが残るのはどうしようもない。
ここで絶望的な事実を1つだけあげておく。クロニクルの2014年2月の項に「大学生協調査によれば、電子書籍も含めてまったく本を読まない大学生が40.5%を占めている・・・」とある。それが2016年には45.2%である(私のメモによる)。さらに、手元には2007年の新聞記事の切り抜きがある。それにはこう書かれている。「1日の読書時間は「ゼロ」が34.7%で、医歯薬系の学部では40%を超えた。85年の調査では「ほとんどなし」は19.4%に過ぎなかった。」これでさえまさかの数字で、もしかすると、専門書を除いた読書なのかもしれない。それ以前の調査結果を知らないが、「本を読まない大学生なんて」が世間の常識であったろう。大学が大衆化したからという説明で済む話ではない。大学生ですらここまで本を読まなくなってしまったのである。本を読まないで勉強? それを問題視するより、デジタル教科書化を目論んでIT産業に色目を使っているような教育政策の推進は、本ばなれに輪をかけるだけであろう。
それに対抗できない出版界の危機は、文化的な危機と言い換えたほうがいいかもしれない。守るべき文化なんてないと言い放つ破壊や、多様な意見に耳を貸さずに突っ走る独裁的「正義」が横行し始めたことを、反読書的と考えるのは飛躍だろうか。焚書坑儒まで遡らなくとも、書物は受難の歴史を何度も繰り返している。いま、ネット社会がそうならないという保証はない。

No.98

2016年12月某日
 3日の午後、西新宿の東京医大へ。阿保順子著『身体へのまなざし』の読書会(てつがくカフェ「医療とケアを問い直す」主催、世話人:西村高宏、近田真美子)に参加した。私が会場の小教室に着いたときには、席はほぼ埋まっていた。著者を交えて25名+α。十人くらいだろうと思っていたので、うれしい驚きだった。期待をふくらませるよりも諦観に慣れてしまっていた近頃の自分を反省した。マスとしての傾向に目を奪われて、本ばなれと無関心を憂えるばかりで、そんな中だからこそ大事に思わなければならない個々の読者を見失いかけていたのではないか、と。
 編集者は第一に自分が読者なのであるから、俗に「読者の顔が見えていない」などと言われる批判に動じることはない。しかし、いざ出来上がった本を市場に送り出すときになると、闇に向かって鉄砲を放つような気持ちになる。闇の向こうに当たってほしい読者の顔を思い浮かべてはいるが、それが果たして何人になるのか? 単に商売なら二匹目のドジョウを狙うのが得策で、数字の予測も立ちやすいであろう。そのような仕事に心が動かない、それどころか、「売れそうもない」本を「好んで」つくっている(「 」内は私の言ではありません。念のため)私には、部数と定価の決定にはいつも逡巡が伴う。決断は賭けである。それでも、経験知が加わることで、最低部数の想定はそんなに狂わなくなった。ところが、その最低ラインがどんどん切り下がってきて、いまやまったく読めない。というよりも、客観的な読みは仕事のブレーキにしかならない。だからできるだけ無視、主観的願望に賭けるしかなくなったというのが正直なところである。最近、取次大手の幹部が、売上の落ち込みが止まらないことに対して「底が抜けてしまった」と発言しているのを知った。
 『身体へのまなざし』は少なくとも千部は売れてほしいのであるが、実売部数はやっと500部を超えたあたりである。そのうち図書館や学校の購入分を差し引くと、実際どれくらいが個人の手に渡っていることになるのか、読者の輪が広がっていってくれるだろうか、それが読めなくて、せっかくの読書会にも期待は程々に臨んだのであった。本書は知識伝達を意図した実用書あるいは参考書ではない。本書にある言葉を使うなら、「身体記憶」を共振させる読書体験を提供することを願っている。「読書に浸って」いただければ本望である。その意味で、読書会に集まった人は読書体験をしている方々であり、知識を得るためのお勉強会とは違う、体験を深めるための話し合いを求めて参加されたはずである。遠方からの参加者も少なくなかった。ありがたいことである。当日話し合われたことについては触れないでおくが、そこから伝わったのは、看護の本質に触れたいという思いであった。その糧として本が活かされている。それが何よりうれしいことであり、肝に銘じなければならないと思った。著者も同感されるに違いない。世話人は、今回で終わりでなく「これからが本番」と言ってくれている。どんなふうに発展するのか楽しみである。期待を大いにふくらませることにしよう。
年末になると、今年はとくに大変なことがたくさん起こったことが思い返される。リストアップしながら考えにふけっていると、いままた糸魚川の大火の報が入った。来年への希望より、突き進んでいく先への不安が増すばかりである。それについては師走の雑記の手に負えない。宿題を抱えて年を越す。

No.97

2016年11月某日
 取次で返品6箱を受け取ってきた。うち5箱は昨年常備で出した分の戻りである。返品ラッシュはこの季節の恒例。普段は注文があって納品の都度、返品があればもらって帰るという循環で済んでいるわけだが、この時期は、注文を待っているうちに返品が10箱を超えてしまうことも。すると引き取り要請の電話が入る。それだけ溜めてしまうと一度に処理するのが体力的にも心理的にもしんどい。それゆえ今年は、先月も今月も、呼ばれなくても1週間おきに取次に出向いている。返品優先に気持ちを切り替えて、返品引き取りのついでに注文(出先在庫の補充)の御用聞きをすることにしたのである。「間に合っている」と言われて元々、事務的な用件と言い聞かせて、出かける前に受話器を取る。今日は幸い、『津波避難学』20部と『統合失調症急性期看護マニュアル』『看護における病的多飲水・水中毒のとらえ方』各10部の注文をもらえた。前者は最新刊、後者は最古すなわち創業時に出版した2点で小社には貴重な増刷本である。この最初の2冊が売れてくれたおかげで、出鼻をくじかれずに済み、小社のその後がある。まさにビギナーズラックであったと、つくづく思う。しかし、幸運の風は今どこを吹いているのであろうか。
帰ってからは、検品と整理で一日が終わる。返品は倉庫に戻さず、自社在庫にしている。一人事務所にしては余裕のあるスペースの有効活用ではあるのだが、ビギナーズラックの記憶のせいで、売れ行きに火がつく望みを捨てられないという理由も大きい。しかしてその結果は、望みは儚く過ぎていき、在庫は一向に減らず、段ボール箱の増殖によって事務所もだいぶ狭くなった。
 常備セットの出荷のほうは9月に終えた。今回は倉庫会社に取次搬入までのすべてを委託した。昨年、もう自力では無理なことを悟った末のことなので、外注するのに迷いはなかった。その結果、なんの問題もなく片付いた。毎年夏のさなかに汗水たらして荷造りしていたことが嘘のよう、コストにも納得、出版倉庫のプロの力をありがたいと思った。なぜもっと早く、と笑われるかもしれないが、後悔はひとかけらもない。「苦労は買ってでもしろ」と言われる苦労を買っていたのだし、アルバイトさんの手を借りて一緒にやり終えたことも金では買えない経験であった。それがあって外注先への感謝もわくのである。
 返品問題の解決も、受け取りから在庫管理の一切を倉庫会社に任せるという手がある。引き受けるとも言われているし、信頼できる相手であることもわかっている。しかし、そうした合理化はやはり、ぎりぎりの限界が来るまで引き延ばそうと思う。私が楽になるだけで、在庫の経費がかさむ。出荷と返品では意味合いが異なる。返品の山で身動きがとれなくなったら万事休す、小社もそれまで。そう思ったほうがわかりやすい。
 売れない本を抱えて「倉庫代にもならない」という悩みを、昔は意味のない愚痴のようにしか聞いていなかったが、今はそこに含まれる複雑なニュアンスを理解する。心ある出版人は、売れればいいとだけ思っているのではない。細く永く売れ続けること、ある意味「在庫が命」で、在庫を切らさないこと、それに堪える本を出したいと思っているのである。しかしそれではやっていけなくなった。それほどに本が売れない。読書人口が減り続けている。なのに新刊点数は減らない。稼ぎを新刊に頼らざるを得ないからである。どの書店も同じように新刊が置かれ、その新刊もすぐに入れ替わり、旧刊は見捨てられる。在庫は負担でしかなくなる。文化の変質を伴う時代状況を認識して、出版は「何処へ?」と自らに問い、途方に暮れているのである。
 そこへ、現代のメフィストフェレスが「紙の本は終わった」とささやく。電子化すれば出荷の労から解放され、返品もなく、在庫の心配も不要だ、と。旧刊も新刊もない、データは古びることがない、永遠の命が与えられるのだ、と。

No.96

2016年10月某日
 やっと片付いて、スペースのできた机の上に原稿用紙を置いた。雑記といえども「書く」ためには、今もってまず原稿用紙を置かないと始まらない。メールを打つのと同じようにはいかないのである。もっとも、メールでさえ、それがマナーですよと言われるが、即時返信というのが苦手である。この、愚図というか踏ん切りの悪さについては考えることもあるが、それはおいて、原稿用紙の効用は何かというと、書くための助走路、あるいは踏切板を用意するようなものである。そこには書きなぐるだけで、枡目を埋めながら文章ができていくわけではない。それこそ文才のなせる技であって、どだい無理な話である。ペンを握り手を動かし紙を汚しているうちに、いくつかの話題が輪郭を結んでくる。最初頭に浮かんでいたことは、案外ふくらまないで、立ち消えになることも少なくない。実際に「書き始める」モードに入るのは書き出しの一行が決まってからである。最後はパソコンの前に移動して清書と同時に推敲にかかる。そこからは、切ったり貼ったりが便利なワープロに助けられている。それに慣れると、さすがに原稿用紙に清書していた昔には戻れない。まさか、ワープロで下書きして、それを筆で清書して手紙にしている人はいないだろう。
原稿用紙がデジタル時代に必要とされる理由はない。近所の文具売り場には置かれていないし、オフィス用品なら何でも調達できるアスクルの通販カタログからも何年か前に消えた。仕事場にはコクヨのB5横書き20字×20行をストックしているが、仕事用とは言いがたい。そんな昭和の遺物を、レトロな私の心情は「使ってあげたい」と思い、現に私の役には立ってくれているのである。しかし、時代環境とともに書くという行為も変質を免れないということは、よく考えてみないといけないことのように思う。ワープロの普及が急だった頃、新しい筆記用具にすぎない、鉛筆を万年筆に持ち替えるのと同じだと言われて納得したつもりでいたが、とてもそんなものではない。
B5横書き原稿用紙のストックはコクヨのカウネットで購入したのだった。先日その新しいカタログが届いたが、それにはA4のものしか載っていなかった。ずっとなじんできたB5の定番でなければ注文する気は起きない。自宅になら、昔々買った高価な満寿屋の原稿用紙が使われないまま残っている。しかし、それはもはや骨董品の類いであろう。と思って念のためにネットで検索してみたら、満寿屋もその原稿用紙も健在であった。和紙の便せんや封筒と同じように趣味的な需要が支えているのであろう。いずれにしろ、続けてくれていることがうれしい。
余談になるが、私はA4サイズを好まない。国際標準に合わせるとかで官庁の文書サイズがA4に変わってから、B5用紙は廃れA4への画一化が進んだ。それにつれて鞄も大きくなり、封筒も今では角2一辺倒、B5に適した角3は消えかかっている。大は小を兼ねるから、皆目くじら立てずに順応しているのであろうが、日本人には中途半端に大きいように思う。B5には控えめな「こぢんまり」感がある。私は今でもあえて使うことがあり、B5のプリント用紙も切らしたことはない。ここで、尺貫法禁止に対して身をもって抵抗した永六輔のことが思い出されたのであるが、結局、世の趨勢はいかんともしがたい。しかし、相撲取りにもメートル法を強制しながら、ゴルフなんかではフィートだヤードだと言っているのに対しては問題にされた気配もない。どうしてなのか? 日本はおかしな国である。

No.95

2016年7月某日
 先月末に本サイトの更新を失念して、そのまま打ち過ぎた。発信したいニュースでもあれば違ったのだろうが、一段落がつかないままずるずるというのは困った性格というか、自己コントロール能力の欠如である。しかし、6、7月のカレンダーを見返すと、引きずっている仕事にかまけていただけではなく、学会シーズンが始まっていて息つく暇がなかったという言い訳も見つかる。近頃では取材活動はほぼ放棄しているが、コストパフォーマンスではなく、専門出版社の基本方針として、出展要請に極力応えるということは続けている。要請が来なければこちらから問い合わせて出荷を申し出る。出荷すれば返品を受けなければならない。伝票書きもついて回る。そんな当たり前のことひとつひとつは、やると決めてできないことはない。で、そうしているのだけれど、こんなに学会が多くては、方針を貫くのに無理を感じ始めている。正直、疲れる。もちろん歳も歳なのだが、出荷に比例して売上も増えていたなら疲れは半減するに違いない、とも思う。結局、我が基本方針も、精神主義には限界があり、コストパフォーマンスの現実主義には勝てないということか。
 精神主義と現実主義を対立するものとは考えていない。一人での“ベストエフォート”でよし、という決断があって創業したのである。精神主義的現実主義とでも言おうか、平たく言えば折衷案の成り行きまかせであった。それが間違いだとは毛頭思わない。サラリーマン時代に聞かされた「目標管理」なんて真っ平である。ただしかし、実際のところ、自分にとってどこがベストの線なのか、自分で自分を見極めることこそが最もむずかしいことなのであった。
 今月初め、一年ぶりに学会で直売の店を出した。そのときに感じたことを書き留めておく。本の実物を手に取ってみようとする人はやはり少なくて、とくに素通りする若い人たちとの距離がどんどん離れていくのを感じた。学会はイベントとしての隆盛を競っているようだ。学問的積み重ね(今や懐かしい言葉だ)に励むよりも、流行にふれたいと思って参加する人が多いのであろう。主催側も、それに応える教育講演などのプログラムで誘い、参加者が多ければ成功である。それについてとやかく言うことはない。出版だって新しく売れる話題を追いかけるのは当然だ。ただ、学問の世界も出版の世界も、それだけではない。忘れてはならない本質的に大切なことが思われたのであった。取材から身を引いた者が言うのは気が引けるが、演題発表についての話題をほとんど聞かなかった。研究者同士が顔を合わせてどんな真剣なディスカッションが行なわれたのであろうか。刮目すべき学問的成果のひとつひとつを知りたい。本も同じである。出版が文化の担い手であることの本質は、マスプロ・マスセールスではなくて、多品種少量生産のほうにある。学会での展示販売にベストセラーだけが並ぶとしたら、いくら賑やかに人が集まっても、売上げが伸びても、私はその風景をうそ寒く眺めることであろう。書籍の学会出展は、普段なかなかいっぺんには並ばない多彩な専門書に出会える絶好の機会という認識が薄れていくことを憂えている。参加者だけでなく、主催者の認識の問題でもあるし、そもそもそんな理想的な機会が実現されているのかと問われれば、出版社も書店も協力する合意が必要で、下を向かざるを得ないのであるが。
 研究者(大学教員)でさえ、本は読まないと言う人がいた。ネット検索で満たされてしまうらしい。アマゾンで買うから本屋はいらないと言う人がいても、もう驚かなかった。学会は次々誕生するのに、本は読まれなくなっていく。ライブは花盛りでもCDなどのパッケージ商品は売れなくなっているという音楽業界の事情を連想した。背景は同じだろう。で、本はいったいどうなる?
先日、ひと世代下の同業と酒を酌み交わす機会があった。状況認識に異論は出ず、一人の口からは「絶望」という言葉が出て、もっと深く絶望していたはずの私は意表を突かれた。しかし、その彼らも本づくりを止めるつもりはないらしく、私には希望が兆し、気持ちよく酔ったのであった。願わくば、彼らにもまた希望をつなげる下の世代が続かんことを。

No.94

2016年5月某日
 熊本地震の発生から既に1か月以上が経つ。余震も収まりつつあるようだが、一安心とか、復興への槌音とか、明るい話題は聞こえてこない。災害は忘れた頃にやってくると言うが、忘れる間もなく大災害が起きている。御岳山の噴火災害の記憶がまだ新しいので、咄嗟に阿蘇山や桜島を思った。雲仙だって遠くない。誘発されて火を吹き始めたらどうなることか。さらに、『津波避難学』を上梓したばかりだったから、もしも海底地震だったら、3.11の仙台平野のような惨状がくり返されることになったかもしれない、とも思ったのだった。
 同書では、予知の不可能性と、地震や津波などの自然現象の発生を防ぐことはできないという科学的な事実認識を明らかにしたうえで、だからといって、何もできない、運を天に任せるしかないのではなく、誰にでも「できること」はあり、最善策を科学的に追求することの重要性が説かれ、それを実行できるように備える地域防災対策が提言されている。熊本地震では現在もなお、からだが感じる恐怖から屋外での避難生活を選んでいる被災者がおられる。こうした事実は、避難学として解決が図られるべきテーマであろう。
 いたるところに活断層が走る活火山列島、いつ、どこで大異変が発生しても不思議はないというのが専門家の共通認識である。にもかかわらず、「今のところ」異常が認められない原発は稼働を止めなかった。5年前の大震災の教訓が共有されず、あれほどの犠牲と恐怖の経験を、都合よく忘れてしまおうとする神経が信じられない。毎日必ず新聞のどこかに福島の現状を知らせる記事が載っている。これ以上の破綻を食い止めるための対策に追われている。いまも試行錯誤の連続であることを知れば、終わりが見えない不安のほうが大きいのが、当たり前の人間の反応であろう。たとえ百歩譲って、事故の発生は「想定外」の不可抗力によるものと考えて免責がかなったとしても、それがもたらした災厄は自然災害の比ではなく、まさに「想定外」の事態であって、この先どれほどの費用やエネルギーを要することになるのか見当もつかない。それらは結局のところ国民全体が負担することになる。最悪、解決不可能で終わることだってあり得るのだ。「仕方がない」で済むことではない、原発は途轍もないリスクを負っているという自覚が、まず前提になければならない。
 それに対して、もう古い話になるが、絶望的な気持ちで思い出すことがある。安倍首相は世界に向けて、商業主義オリンピック招致の演説で、原発事故の状況をUnder Controlと公言した。その上「私が安全を保証します」と言ってのけたのである。誰よりも情報を知りうる首相が無知なはずはない。裸の王様だったのか? いや、五輪招致に必要な方便として意図的に嘘をついたのだ。そうでないとしたら、現実と願望の区別がつかない人なのだと言うしかない。このような嘘の力に頼った東京五輪の「成功」とは何であろうか?
 この嘘は、原発政策の嘘とどこか似ている。原発安全神話と、金目の話でくらます手口である。批判的な科学者の声は排除され、事故に対する想像力は相手にされなかった。空が落ちてくるかもしれないという杞憂と同じだと本気で思っていたのかもしれないが、それは科学的な思考の結果とは言えない。自らの願望を優先させた思い込みにすぎない。自然として存在する空と、人為的な科学技術によって存在させられたものとはまったく異なる。科学的であることに徹するなら、むしろ安全神話を語ることはないはずである。科学技術の運用に事故率0%はあり得ない。福島の経験は安全神話の嘘を明らかにした。これは科学的に語られるべき事実である。
「想定外」を連発した科学の力不足を反省するのもいいけれど、実は、もっとも足りなかったのは、科学では及ばないものに対する想像力なのではないだろうか。

No.93

2016年4月某日
  前回書きそびれたことを、やはり書き留めておこう。書店の芳林堂が破産。2月末、朝刊の片隅にそのベタ記事を見つけた時の驚きと落胆がまだ尾を引いている。取次の太洋社が自主廃業するというニュースに関係すると聞いたが、その後、太洋社は結局破産してしまった。芳林堂の太洋社への債務が焦げ付いたためらしい。自主廃業と自己破産の違いもよくわからない経営に無知な私には、どちらが原因か結果か判断できないが、単純な足し算引き算で答えは出る。出版界の窮状では他に計算の立てようがないのだろう。事はこれで終わらず、取次の破綻を震源とする被害が配本先の地方書店に及ぶと言われている。
小社は直接の取引をしていないので今は傍観者であるが、いつどんな形で影響が及ぶかわからない。昨年、栗田出版販売が倒産したときは思わぬ形で波をかぶった。在庫を預けている出版倉庫が廃業を選んだのである。その会社の主要取引先は某老舗出版社で、小社はその一部を間借りさせてもらっていたのだが、その某出版社も売行き不振で苦しいところへ栗田の破産で売掛金の回収が見込めずに連鎖倒産。その結果、出版社からの倉庫料が入らず、今後の見通しも立たない。先代の社長が本が好きで出版倉庫でやってきたが、社員に給料が払えない状態を続けられないと、済まなそうに内情を教えてくれた。その現社長は同世代である。であれば、引退の潮時と心を決めたのでもあろう。車で10分ほどの近さで、親切にしてもらったので名残惜しいが仕方がない。それから別の倉庫探しにかかったが、小社のような小さな扱い量と自動化ゼロ、代行業も介さない非合理的なやり方は歓迎されないようで、思いのほか手こずった。幸い、交渉した中でもっとも近くの倉庫が、今までとほぼ同じ条件で引き受けてくれたので助かった。在庫の引っ越しも無事に済んだ。
芳林堂がなくなる(ネットを見たら「お客様へ」詫びる告知があって店は営業を続けているが、会社名が書泉に変わっている)というニュースが私にとって特別だったのは、2003年の大晦日に池袋の芳林堂が閉店したと知ったときのショックを覚えているからである。池袋の西口に出て寄らずに帰ったことはない。店内に「栞」という珈琲店があった。新宿の紀伊國屋のように、池袋のシンボルだった。その書店がなくなって、街は魅力を失った。当時、地方都市では旧中心街が衰退し、老舗書店が次々と消えていったが、大都市東京の内部でも、似たようなことが起こっていたのである。
21世紀の幕開けから数年間のことを忘れないのは、人生の節目と重大事件が重なったからである。30年間のサラリーマン生活を捨てたのが2001年の夏であった。そのすぐ後に、アメリカで9.11テロ事件が起こった。テレビの世界同時中継に釘付けとなり、この光景が紛れもない現実なら、これからの世界は予測を超えた「何でもあり」の殺伐とした時代に入っていく、そう考えざるを得ないことに慄然とした。と同時に、先の計画もなく浪人となった我が身に引き寄せて思ったのは、将来の不安よりも、自由に対する覚悟のようなものだった。やがて出版社を興すことを決め、2003年は創業出版の準備に明け暮れた。デジタル化による技術革新の影響はすべてに及び、数年ぶりで訪ねた印刷所の様子も変わっていた。製作の現場はまさに革命であったろう。しかし、標準や原則を顧みない「進歩」は混乱でもあった。現実主義、成果主義一辺倒の革命に同調できない私は、自分の心性は保守であることを自覚した。以来、進歩史観からはすっかり離れた。
かつての芳林堂の閉店は「まさか!」であり、時代の変化がやけに具体的な寂しさとして実感されたのだった。それに比べて、今回の事態にナイーブな感傷はない。あの頃とはすっかり環境が変わっている。破産は、変わりそびれた、あるいは変わり方を間違えた結果以外ではないだろう。変化に対応する、その時々の判断はどうだったのかが問われる。つけはいつか払うことになるのだ。そう考えたらしかし、自分に返ってきて、小社のこれから先の問題がちらつき始める。

No.92

2016年3月某日
 『津波避難学』をやっと下版した。3月11日が近づき大震災関連の報道が続くなか、その日に発行が間に合わないことは無念で、著者にも心配をかけてしまい、ひたすら申し訳なく思う。大地震・津波はいつ来るかわからない。いち早く出すべき本であることを確信し、3.11を待つまでもなく、2か月前には出来上がっている予定だった。元の原稿を読ませていただき、出版を引き受けたのが1年前。いつもどおり原稿が完成に至るまでのやりとりはあったが、昨年10月にはDTPで組み上げるところまで進んでいたのである。それが校正段階で頓挫した。まさかの異常事態に見舞われたためである。何が起ったのか、二度と味わいたくない経験をしたとしかここには書かない。自分の甘さを晒すだけで、学ぶことなどこれっぽちもない。徒に時が経ち、結局はほとんど一からやり直すことに決めた。幸い印刷所の協力を得て順調に急ぐことができ、1か月ちょとでここまで来た。今は無事出来上がってくるのを待つのみ。
負け惜しみに聞こえるかもしれないが、難産のおかげで何回も読み直すことになり、その都度、出版の意義を再確認した。新刊案内に「必読の書」と記したことに偽りはない。もちろん一般書として広まってほしいし、それを意図して編集にあたったが、本書の底を流れているのは看護の精神である。看護学部で教えている著者もそのことを強く意識しておられる。災害看護学の基本図書として推したい。その意味でも小社にふさわしい出版と受けとめていただけたらうれしい。

No.91

2016年1月某日
 小社刊『高齢者のせん妄』を図書館で借りて読んでいるという人から電話をもらった。やさしく書かれていてとてもよくわかるので買いたいとおっしゃる。もちろん、どの書店からでも買えますと答えた。創業間もない頃は、注文を断わられたという話も耳に入ってきて、無名の悲哀、いや憤懣やるかたないこともあったのだが、そんな書店が今も淘汰されずに残っていることはないだろう。小社のことはともかく、専門書店にも不案内なようだったので、尋ねてみると介護の仕事につかれている方であった。同書は、日頃高齢者と生活を共にしている家族や介護に携わる人たちに知っていてほしいことを丁寧に説くことに意を注いで作ったものなので、まさに想定した読者と出会えたわけだ。その読者のニードにピタッと当たったらしいこと知ってうれしかった。高度な新知識を追求する専門書だけが「いい本」なのではない。生活に役立つ知識を常識として広める善き啓蒙書も出していきたい。理解して納得するために「自分の本」を一冊持つことは、困ったらスマホで情報検索して済ますよりは、はるかに大きな意味と価値があると信じる。
 看護師へすすめる際の説明では、一言「専門家にはやさしすぎるかもしれません」と言い訳のように付け加えていた。ところが、ある精神看護系の学会場でお目にかかったN先生は、新刊出展中の同書を既に読んでおられて、今の看護師には「こういう本こそ必要なのよ」と言って高く評価してくださった。最近の入院患者は高齢者がとても多いのであるが、看護師は疾病にばかり目が向いてしまうクセが直らない。病気の前に高齢者として生きている人間と向き合わなければケアにならないのに。この本は高齢者の理解に徹しているのがいい。その視点は看護でもっとも大切なことなのだ、と。もちろん、我が意を得たりであって、そのように受けとめていただけたら本望である。執筆者の看護師一同も同様なはず。私の余計な一言は不要であり、言い訳はかえって失礼だったかもしれないと反省した。「いい本」はいい理解者を得ることを信じればいいのである。
しかし、看護師の一般的な傾向がそうなら、私(たち)が思う「いい本」が看護界でベストセラーになることはない、とも言えるわけだ。販売実績もその事実を告げているので、辛い認識である。小社の場合、そんなことを考えるより、一般読者の目に触れて存在が知られるためのPR、書店営業の力がないことが問題なのであるが、正直言って無策。神風頼みと言うしかない。そんななかで今回、一読者の電話から図書館がありがたい援軍であることに改めて気づかされた。書店の数が減り、書店の棚も新刊中心に回転していて「売れ筋」とみなされなければすぐに消されてしまうなかで出版を続けている者にとって、図書館の蔵書に選ばれることは、小さくない望みの灯なのである。近年、図書館も指定管理者制度とかいう民営化の波に襲われて、あちこちでおかしなことが起きているらしいが、それについて述べるのは別の機会に回す。
借りられたらその分売れなくなるなんてケチなことは考えていない。書店でも図書館でも本に出会う機会はあったほうがいいい。図書館で読み、それで間に合って終わりでなく、さらに購買に至るという迂遠な回路を経て手に入れた本は、その人にとっての価値が高まっているに違いない。無駄や損のない、いい買い物をしたのだ。そのとき読者は、本という商品の「消費」者ではなく、「享受」者になっているのである。

No.90

2015年12月某日
 今年も残り1週間、いやでも応でも年末モードに切り替えなければ。12月に入ると、合う人ごとに「もう1年経つなんて、早すぎる」と言い合ってきた。皆それで通じるのは、暖冬のせいでもなければ、齢をとって時間が短くなったことを嘆くのともちょっと違う。カレンダーの進み方に暮らしの季節感が追いつかない、昔と同じではない社会全体の空気感がそう言わせるのである。事実、師走とか歳末とかいう言葉をあまり聞かなくなった。「歳末大売り出し」も特に効果的な惹句ではなくなってしまったのだろう。
子どもたちはどうだろうか。私たちが昔「もう幾つ寝るとお正月」と歌ったような気持ちは少しでも残っているのかどうか。子どもには「待ち遠しい日々」が必要だ。待つ楽しみがあれば今日一日は十分に長い。実際は、遊びに夢中で一日はあっという間に過ぎてしまうのであろうが、彼らが一日の短さを嘆くなんてことは考えられない。楽しくても辛くても、一日の記憶に満たされて眠るだろう。
時間は常に流れている。それ自体長いも短いも、遅いも速いもない。時間に対して、速すぎるの、足りないのと言うのは、つまりは、自分の時間の使い方に問題を感じているからなのである。遊ぶ子どものように生きられない大人の悲しさ、どうしても、時間を使いたいように使い切ることができなかった不全感を抱えてしまうのである。
自然に添った農業社会では農繁期と農閑期があったけれど、それを逸脱し、さらに脱工業化へと進んだ今日、目に見える苦役からは解放されたのかもしれないが、代わりに四六時中せわしなく回転し変化し続ける中に放り込まれてしまった。グローバリズムは「忙しさ」の拡大再生産にほかならない。かつて時計は人間の道具であった。今は時計が人間を支配している。それとともに、時間は「忙しさ」の元になってしまった。ここで、「スローライフ」を唱えるというような方向に話を進めることはしない。個人の心構えで解決する問題とは思えないからだ。
 例えば、読書に時間を費やしたとき、私は自分の時間をそれに「使った」と思う。読書が日課にはならず暇を見つけて読むだけだが、暇があるわけもなく、仕事を置いてつい手にとったまま読みふけってしまうのが実態なので、単純ではないが、私は「暇を盗む」ことができたのである。そうして使ってしまった時間を惜しむことはない。片や常時開いているパソコンのインターネットがある。情報検索には重宝しているが、曖昧に情報収集を始めると、関連するWebページは芋づる式にきりがない。クリックひとつで開くも閉じるも簡単なだけに、かえってお終いにするのがむずかしい。飽和点に達して閉じたとき、私は「ずいぶん時間をかけてしまった」ことに気づく。要領が悪いのは性格だし、「使い方を知らない」せいだと言われるのは承知している。しかし、情報を得るために費やした時間について、書物を置いたときのような充実感はなく、多少の消耗感とともに、もっと短く済ませたかったと思うのが常である。本を読む時間はもっとほしい。できればゆっくりと時間を遅らせたいくらいだ。それに対してインターネットのブラウジングは、できれば早く済ませたいのに、「芋づる」に引っ張られて時間をとられる。この違いはなんなのか?
 こうは言えないだろうか。本は私に読書の時間を与えてくれた。私はそれに自分の時間を使った。一方、必要に駆られてパソコンに向かった私は、画面を追い続けた時間について、それだけ私から時間が「奪われた」ように感じる。気を許せば、インターネットは私の時間を吸い取り続ける。
エンデの『モモ』に出てくる“灰色の男たち”が思い出される。灰色の男たちは人間に時間を「節約」するように仕向け、実はその分を彼らのものとする。彼らは人間から奪いとった時間がないと生きていけない。無限の情報処理化と高速化を突き進むディジタル技術は、灰色の男たちそのものではないのか。いや技術は人間の成果だとしても、灰色の男たちは現に蠢いていて、彼らに乗っ取られてしまう危険があることは認めたほうがいい。本は、灰色の男たちにとって、厄介な邪魔者に違いない。
今年も出版統計は右肩下がりが止まらず、本を取り巻く状況は惨憺たるものだ。小社の実情も右にならえであるが、やはり紙の書物へのこだわりは変わらない。灰色の男たちに白旗をあげるわけにはいかない。先日、知人からの便りに「書物は人類が生んだ至上の文化の一つ」とあった。しっかり心にとめておきたい。

No.89

2015年11月某日
 指折り数えると、都内への電車通勤をやめてからもう15年に近い。ふだん納品や返品で取次を往復する以外でも、車を使うことが多くなった。近頃は平日の都内も渋滞は少ない。運転席でラジオやCDを聴きながら行けば体が休まるくらいに思っている。ただ、車だと途中下車がむずかしいのが弱点である。で、たまに電車で出かけたときは、できるだけ寄り道して帰りたいと思う。実はいまちょっと目の具合をおかしくしていて、車の運転を控えている。駅の階段の上り下りやターミナルの混雑も危ないのだが、医者に行く必要もあったりで電車利用が続いている。目が悪いとデパートでの買い物も不自由だし、書店巡りも無理なので、街の空気にふれて喫茶店で休むくらいならと、ふと思い浮かんだ店の方角へと足を向けた。その前まで来ると、錆の浮き出たシャッターがおりていて、見上げると汚れた看板の跡が残っている。その先にある古本屋は開いていたので店主に話を聞くと、2〜3年前に閉店したままだという。他にコーヒーの飲めるところはないか尋ねると、近くにはコンビニのイートインがあって、店内で座って飲めると教えられた。しかし、私のニードは喉の渇きとコーヒー自体ではなく、静かな席でほっとできる喫茶店の空間なのであった。人がまばらで居心地のいい街のコーヒー店が営んでいける時代は過ぎたのであろう。繁華街からちょっと外れただけなのに、人の気配が薄れて街の様子がうらぶれて感じられる。かつては、その外れたあたりにこそ人々の暮らしのにおいがあり、その中に一軒一軒の店が溶け込むように営まれていたのに。
 私は今の時代を特徴づけている変化の急を憂いてばかりいるけれども、古来賢者は「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と達観したわけで、今更嘆いても仕方がない。そうは思いつつもなお、かつて当たり前に思っていたことが、今になってみれば、なんとぜいたくな豊かさを蔵していたことか、とも思うのである。ということは、未来から今をみて、いま失ってはならないものがあるに違いない、というふうに考えられる。
 書店だけではないのだ。喫茶店も食堂も、米屋も酒屋も、肉屋、魚屋、乾物屋、金物屋、お店屋さんと呼ばれた商売は軒並み、昔どおりに復活することはあり得ない。先日の新聞に‘日本が誇る「裸の社交場」’として銭湯のことが記事になっていた(11月8日、朝日)。1960年代には全国で2万軒以上あった銭湯が2014年度は約4,500とのことであるが、衰退を嘆くのではなく、今風の銭湯のススメ的な内容である。良いものはなくならないとか、復活・再生を喜ぶとかいうオメデタイ話ではないのである。文化として享受していたものへの愛着と、失わせてはならないという意志が廃れたわけではないという一点を認めることが肝心なのだと思う。それを措いて、これからの可能性を語るのは不毛な雑音でしかない。さて、本の行方は?という問題になるが、とたんにトーンダウンするのは否めない。業態を変える革新的な先兵にはなれないことを自覚しているからである。
どんな「革新」にも眉に唾をつける癖がついてしまった。今や為政者のほうが革新を声高に叫ぶ時勢である。現状追認ではない真正「保守」の不在が国を危うくしているように思えてならない。私の意志は保守に傾く一方である。

No.88

2015年10月某日
 忙しいという言葉は死語にしたい。今年は結構本気でそう思うところがあって、実際、時々は自制を利かすのに役立つこともあった。しかし、それで忙しさの元が消えてくれるわけではない。問題の解決でなく放置でしかないことは、ホームページの更新遅延が実証している。明日に延ばせることは明日にと思うのは無理のない正しい選択でも、明日は明日の風が吹くわけで、明日はそのまた明日に入れ替わるのである。やはり「世は締め切り」と心得るしかないのだろう。ニュースと言うにはとうが立ってしまった掲載原稿を用意しながら、前回の反省も乾かぬうちなので、少々後ろめたかった。
雑記に向かうと、戦後70年、2015年夏について口をつぐんでやりすごすことに心のざわつきを覚える。安倍政権による政治や経済の情勢ばかりではない。自然災害の多発も尋常でない。鬼怒川の決壊では原発汚染土の流出もあった。福島では汚染水があふれ出た。その報道が、目立たせたくないのだなと思わせるほど小さく終わってしまったのが気になる。先日の台風は風速80メートルを記録したという。想像を絶する。猛暑が雨、雨、雨に変わって、8月ですっかり夏が終わってしまったのも変。異常気象は世界中で頻発している。それから、毎日のように起きる殺人事件。近所の朝霞市では警察官が人を殺した。それも金目当てで。眉をしかめただけで、さして驚きもしなかったのは、余りにも異様な事件が次々起こるからである。「新しい戦争」の時代に入った国際情勢も絶望的にわからない。情報社会はテロや爆撃の映像を瞬時に伝える。しかし真相は見えない。解決への道筋や希望的観測を述べた論評を読むこともできない。脈絡なく書き連ねているが、根っこのところで、現代の現象として共通するものがあるような気がするのである。
いったい誰がなぜ何を目指しているのか、今何が起こっていてどうなっていくのか、後世の歴史家はどう説いてみせるのであろう。後世があるとしての話であるが、この先、人類の進歩史観が通用するとは思えない。科学技術の進歩があり、経済成長があっても、人間自身に進歩はあるのか? 残念ながら、衣食足りて礼節を知るという命題は正しくないようだ。飽くなき豊かさの追求が人間社会を劣化させつつあるという皮肉を思わざるを得ない。
戦後70年がなぜ節目なのか私にはよくわからないが、戦後レジームからの脱却を唱える人にしては、それにつながる具体的内容に乏しい「談話」で、殊更に前触れして発表した意味がもっとわからない。他国の目を恐れて穏当な表現にとどめたのだとすれば、新安保法制を「国民の理解が進んでいない」と知りながら成立を急いだのは、自国民をなめているのである。いくら「他に人がいない」にしろ、そんな内弁慶をおだててはいけないと思う。
私が安穏でない気持ちになるのは、賛成反対以前に国論を形成するための議論がないことである。1つの結論しか持たないのは、結論が出せないのと同じくらい危険だ。多くの意見が出、それぞれ一理あることを認め、議論が共有された上で決してこそ、強く鍛えられた結論になるのだ。反対意見を敵視し、議論なしで満場一致の決定を望むようでは、某隣国の一党独裁と変わらない。党から出る議案は正しいことに決まっている。誤りがあったらどうするという発想がない。だから次善、三善の策を用意できない。愚かなことである。日本の戦前(敗戦)もそれで犠牲を大きくしたのではなかったか。
中国は戦勝70周年記念式典を挙行、軍事パレードを行なった。敗戦を受け入れて終戦記念日とする我が国との対照を思う。日清・日露戦争は歴史として学ぶだけで、もはや戦勝記念を祝うことはない。いわんや、8月15日を復讐戦を誓う日にしようなどという声は聞いたこともない。犠牲者の慰霊・鎮魂と平和への祈りを総意とし、軍事力の誇示ではなく、建前として「反省」を語れる国のほうがよい。少なくとも、希望はその先にしか見いだせないと思っている。

No.87

2015年7月某日
 今年もまた暑い夏がやってきました・・・昔、こんな言葉を書き出しに使った文章を目にして、 それだけで陳腐な内容が知れたような気がしたことを覚えているが、38度とかの熱波が季節感を飛び越えて暴力的に襲ってくるのに対しては、 話題にするのも余計なエネルギー、むしろ気の抜けた常套句を吐いてお終いにしたい。ということで、3か月ぶりに雑記のペンを執る。 その前3月も一度パスしている。新刊が続いて仕事の切れ目がつかないことを言い訳にして過ぎたのであるが、一度さぼるとその後は惰性で、 日が経つのはさらに早く、すでに7月も末に近い。こんなコラムでも生きている証拠にはなっていたらしい。無事を案じてくださった方がいることを知って、 じんとくるものがあった。しかし、だいぶくたびれているのも事実で、客観的にみれば何があってもおかしくない年頃でもあり、 自分でも近況報告のメールに「討ち死にしそう」なんて書いたりしていたのである。冗談にもならず、余計な心配をかけたとすれば、 反省して自重しなければならない。
 7月は小社の期末なので、先日、取次(鍬谷書店)の出先在庫の切替を済ませた。取次からは来期分の用命が計840冊(各30〜50冊)あり、 現在在庫中(売れ残り)が185冊あるので、差し引き655冊を荷造りして搬入した。こういう肉体労働はやるしかない、 成せば成るでしのいできたものの、来月にはもっと厳しい常備セットづくりがある。さらに、その後は去年の常備の返品が押し寄せてくることを思うと、 いよいよ限界。この先は「がんばらない」ための方策を本気で探るしかないと観念する。今期は新刊4点、別の請負仕事も含めれば実質6冊分の仕事をして、 自分の仕事のやり方ではこのあたりが精一杯、そう思うことでよしとしよう、とも。
 今期の売り上げも確定、昨年より増加した。やはり新刊が増えればそれなりに上向く。とはいえ、 製作費もそれだけ増えた訳で黒字には遠い。「渋い」という感慨は今年も同じ。しかし、負け惜しみではなく、実業の手応えを「苦く」思ったことはない。 まあ、今時「甘さ」を求めて出版をつづけている人もいないだろう。もちろん、いつだって「売れる」ことを夢見ている。 現実に顔をひっぱたかれて目を覚ますのが常だけれど、夢を捨てるわけではない。つまり、懲りないというか、結構しぶとく生きているのである。

No.86

2015年4月某日
 3月は新刊『看護師が行なう2型糖尿病患者の療養支援』の製作が大詰めを迎えてすったもんだしている間に過ぎてしまった。工程表どおり1つひとつ片付けてきたつもりでも、すんなりと終わらないのはいつものことである。ほぼ完全原稿を用意して昨年10月に入稿、当初の発行予定は2月、遅くとも3月で間違いないはずだった。本文校了時点では、少々さばを読んで、奥付の発行日を4月10日(1日のエイプリルフールは飛ばした)にしたのであったが、その後2度訂正して結局5月1日になってしまった。今回は印刷や製本が混んでいた事情もあった。その間、指定した紙では適当な大きさの製品がなく取り都合が悪い(無駄が多く出る)ことが判明して表紙・カバーの仕様を再考し、デザインの変更とともに用紙や色を選び直すということもあった。その時間がとれたのは幸いと言いたいところだが、実は迷う時間が増えただけだったかもしれない。いい結果に落ち着いたとは思っているが、自己満足と区別はつきにくい。引きずる性格を制御できないのはワンマン体制の欠陥である。それは認めざるを得ないけれど、出版はオートメーションではない「ものづくり」であるというこだわりを捨てられない以上、スマートな解決策は見つかりそうにない。以下はその言い訳。というよりも自分を慰めるために考えることである。
ものづくりにおいて最初の設計図どおり、マニュアルどおり問題なく完成に至ることはまずない。とくに仕上げの段階では総合的な目によるチェックが入り修正が施されるのがふつうである。そして、最終的に選択され決定されたものが世に出るのである。それなら反故にされた図面やそれまでの作業が無駄かと言えばそんなことはない。常に目の前のモノと格闘することを促すのは、それに先立つ計画や作業にほかならないからだ。あえて言ってしまえば、最初の目論見や設計図は否定されるためにあるのである。否定は無視とは違う。完成品には無駄ではない否定の総量が詰まっている。その弁証法なくして作品が完成することはない。本もそのような作品として作られる。
 もちろん、モノとしての形態以前に、内容も作品でなければならない。本の内容は、元原稿が本の体裁に収まるように単にデータ変換されたものだなんてことはない。著者が用意した原稿は本の材料である。材料をより活かすために器として本という形態が求められ、器とともに賞味されるべき内容がつくられていくのである。原稿の形で読むことと、本を読むこととの微妙な違いは、深く考察するに値するテーマである。
本づくりの過程で、著者はその材料となる原稿に再び向き合って吟味し、本にふさわしい内容に整えるべく作業をくり返す。そこで気づくことも多いはずだ。展望がさらにひらけることもあれば、限界が見えて苦しむこともあるだろう。それを経た上でもなお、校正の段階で、新しい問題が見つかることが少なくない。誤植や字句の訂正は別にしての話である。本づくりの工程で校正が絶対に欠かせない重要な意味を持つということは、まともな編集者の常識である(「過去の常識」化していないことを祈る)。機能を厳密に分ければ校閲になるが、すべてに関わる編集者においては校閲的なアンテナはいつだってONである。「完全原稿」のつもりでも、最後の校了まで切れ目なくあれやこれやが続いて本になるのである。今度の新刊では、著者は5年越しでまとめることができたとあとがきに書かれている。出来上がりを手に取れば、費やした時間とエネルギーを思い返して感慨も深いことであろう。達成感が報われるなら、よい仕事だったのである。消耗をけちって成果を急いだ結果とは何かが違うはずである。

No.85

2015年2月某日
 新聞や週刊誌に載った小文であるが、時勢にふれて、本が読まれなくなったことを問題にしている文章を、このところ立て続けに目にした。今や出版が危ないのは常識、街から書店が消えてゆくのに対しても無策に過ぎて、思い出したようにノスタルジックな話題づくりがあるのみである。我が身をかえりみても展望を語るより意地を語るだけになるので、みっともないから黙る。そんななかで、書き手であり読み手でもある本のユーザー個々が、読書が重んじられない社会への危機感を表明している。産業の危機よりも文化や社会、すなわち人間の危機のほうがずっと深刻な問題だ。例えば、いま手元にある週刊文春で林真理子はこう言っている。「ネットによって人の心は相当に変わってきたと私は思う。それも悪い方に、急激に。まずみんな本を読まなくなった。」
 イスラム国を名乗る者による脅迫とジャーナリスト殺害のおぞましさも、考えさせる間もなく一気に拡散するインターネットという手段の下に起こった。残虐な映像を見せるのはよくないとか何とか騒いでいるけれど、それがインターネットで流されたことをニュースで伝え、テレビではご丁寧にもネットの映像を「転載」して見せていて(モザイク加工のお為ごかしについてはここでは論じない)、劇場型犯罪の片棒を担がされていることのほうが、まず考えてみなければならない問題だろう。もはやパンドラの箱が開いてしまっていることを正視すべきだ。倫理もルールもなく制御不可能なこの状況は、戦争さえもっと悪い方に変えてしまう恐れを覚える。見境のないテロリズムの横行、終わりなき戦争の始まりをどうしたら抑止できるか、絶対的に考えなければならないことはその一点に収斂する。
 もっと身近では、常識的な理解を超えた「少年」「少女」犯罪が次々と起きている。どう考えても尋常ではない。背景に今の社会が抱えた問題があることはみな感じている。女子高生の生活時間調査でスマホをみている時間が一日平均7時間と聞く。これでは一人読書する時間など入り込む隙間もあるまい。また友人の数が200人とも300人とも言われると、どんな付き合いをしているのか見当も付かない。LINEという手段が介在しているらしい。使ったこともなく詳細を知らないので断定的に言うのは避けなければならないが、その普及のスピードは驚異だ。流れに押されて、危険については未知なまま高額な機器を与えて別世界を解禁したのは大人である。そうして子どもたちの間でもパンドラの箱が開いてしまった。しかし、孤独になる時間もない「忙しさ」の中に子どもたちを放置してよいのだろうか? たまにクルマで聞くCDの中に『真夜中のギター』が入っていて、単調なメロディーにのった歌がゆっくりと流れる。「街のどこかで寂しがり屋が一人、今にも泣きそうにギターを弾いている・・・」そんな時間がもう戻らないとすれば、この先どんな社会に向かうのだろう。
 変化の速さに社会病理学は追いつかず、社会医学的処方も出ない。政治には期待すらできない。ネット漬けの若者に迎合し、それを利用して自分の有利を図ることしか考えない政治家たちの軽さ。劣化した政治状況自体が病理学の対象のように思う。感情的な本音をツイッターで垂れ流す一方で、本番であるはずの国会では真剣な討議が聞かれないことに絶望して「劣化」という言葉を使った。右も左もない、独善は聞き飽きた。問題を見据えた話し合いの見本を一度でいいから見せてくれないか。「日本を取り戻す」には、「万機公論に決すべし」を最初に掲げた五箇条のご誓文にまで立ち返って始める必要があると言いたい。
筆を執るとあらぬ方向に走ってしまうのはいつものことで、今回はとくに思いがいろいろ出てきてまとまらない。自己コントロールが足りないことを恥じるけれど、それもこれも読書の衰退と無関係ではないことのように思える、ということでこじつけて、このまま投げ出す。

No.84

2015年1月某日
 昨年の初めはデジタル元年を宣言した。その結果は、成果よりも時間を食って仕事の足を引っ張ることのほうが多かったかもしれない。しかし、知ることが増えたことで余計なストレスを感じる時間は減ったように思う。要するに適度な付き合い方ができるようになるために、今年も少々の負荷を覚悟しよう。
 十年以上前、「面白くない」ので捨ててしまったデジカメも、一念発起、昨春改めて購入した。フィルムカメラはうん十台所有し、自宅には暗室を作って引伸機3台が鎮座している。何年も作業しておらず、未現像フィルムがたまったまま、もう何を撮ったのかも忘れた。それでも捨てる気は起きない。たまに手の感触を楽しみ、眺めるだけでも心が休まる。そんな私がPhotoshopの講習会に参加したのであった。その時バッグに入れていたのはCONTAX最後のカメラT3。講師はフィルムが今も売られていることさえ知らなかった。驚くよりも何よりも、時代とのズレを埋めるためにデジタル元年を決めたこちらが歩み寄るしかないと観念した次第。機種選定ではニコンDfにも食指が動いて迷った末、あえて一眼レフをはずし、フジのX100Sにした。昔のカメラらしいカメラの感じに惹かれたと言えば、わかる人にはわかると思う。持ち心地良し、レンズも文句なしで正解だった。もちろんシャッターを押せば写る。しかし、思ったように撮ろうと思うとむずかしい。今もって使いこなせてはいない。設定すべき機能が多くて覚えられない。使わないでいるとすぐ忘れる。カメラの能力を100%使えば新たな可能性に目が開かれるのであろうが、そこまでのハードルは高い。自己流はNG。ひたすら使って慣れるしかないのは、WORDやDTPなどの習熟とまったく同じことだと気づく。アナログ時代の向き合い方とは何かが違う。今も毎日持ち歩いているのはT3。両刀遣いは無理と思い知りつつ未練は断ち切れない。
 道具の提供側が連発する技術更新は、果たしてユーザーのためなのか? ユーザーはその進化を十分享受する間もなく、次の技術の被験者となることを強いられているだけではないか。こんな時代に誰がしたなどと、つい呪いの言葉を口にしたくなるのは相変わらずであるが、デジタル2年はHTMLを学ぶことから始めた。このWebページの管理と電子書籍化をまとめて構想する必要があるし、これまで新しいことへの適応は最低限でいいと思ってきたけれど、何が最低限なのかがわからないという自覚からである。保守主義を貫くには新しい現実を知らなければならないというのは、皮肉な真実だ。目的は「基礎的な理解」だが、何をどこまでというイメージがつかめないまま、成り行きで試行錯誤することになるのだろう。これも逆説になるが、己の限界を知ることができればいいのだ。急ぐことはない、ラストランナーが似合ってるってことだってあるかもしれない。
以下、遅ればせながら新年のご挨拶を申し上げます(年賀状文面より)。
 謹賀新年
*昨年はあれよあれよという間に打ち過ぎ、年末に皆さまの賀状を改めて前にして、まるで初めて読むような気持ちでした。同時代を生きる者として何度もうなずき、また新たな年に向かう勇気をいただきました。
*時間について―便利な手段があふれ、その恩恵に浴する現代人は昔の何倍も余裕が持てていいはずなのに、事態はその逆で、変化に追いまくられているだけのように見える。一方、現代不適応症候群の私は非能率な愚図でしかないことに悩む。しかし、愚図なりに悟ったことがある。時間はいくら節約しても貯めてはおけない。時間はいま使うしかない。時間短縮を目標にしたら時間に使われて心を亡くす、すなわち忙。同じ時間でも心が込められるなら生きがいになる。多忙は貧しい。余暇なんてどうでもいい。新年の標語は「充溢!」
*すぴか書房は11年目。超低空飛行にも慣れました。上空では出版界の雲行きいよいよ怪しく視界不良ですが、本には計り知れない効用がある、との思いは強まるばかりです。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。
*健康と平和を寿ぐよい年でありますように。

No.83

2014年12月某日
 看護科学学会(11月29‐30日、名古屋国際会議場)での展示・直売を大過なく終えてほっとしている。その一月ほど前、準備を気にかけ始めたころ腰痛が出てしまい、困ったことになりはしないかと心配だった。机1本借りてその上に並べるだけだけれど、本を詰めた段ボール箱を持ち上げられなければ、店の設営も撤収もできやしない。現地でぎっくり腰を起こしたらどうしようもなくなる。代わりの社員がいないことの怖さである。以来、サラシを巻きコルセットで固定してソロリソロリと安静な生活。元来天の邪鬼な性格で、どうかすると逆療法に走りがちなのであるが、さすがに歳を自覚してそういう馬鹿は卒業、今回ばかりはどうしても完治させなければならないと、養生に努めた。返品の山は手伝いが得られて片付いたのは幸いだった(それまでの返品の箱の運搬作業が腰にきた可能性が大であるが)。科学学会の前の週末は、このところ毎年出かけていた医学哲学倫理学会が今年は東京での開催だったのに、用心してパスした。そうした心がけが功を奏して、予定通りワゴン車に一式、段ボール6箱積んで出発した。現地では机1本だけで椅子が用意されていなくて焦ったが、立ち通しは絶対に無理と申し出て、どこからか持って来てもらえたのでよかった。
 丸2日間店番を続け、取材には一歩も動かなかった(会場は広い、「無理は禁物」と言い聞かせてもいた)。そのせいも少しはあるだろうが、顔見知りの先生方の姿は少なかった。世代交代は容赦なく進む。我が身を省みて、その今とどう切り結ぶか、現役の気概を問われると複雑である。面の皮を厚くして「やりたいようにやる」と言い放つしかない。しかし、そこで心底笑えるかどうかが問題である。
 近頃の学会では、書店の前は黒山の人だかりという光景を目にしなくなった。隣は丸善で机8本に各社の本をずらっと並べていたが、それでも素通りする人が多いことに、学会参加者でもこんなものかと嘆息がもれる。左隣では行動分析関係の心理学書を出している二瓶社がやはり一人で直売していたので、聞いてみると、心理関係の学会ではこんなことはない、看護の学会は初めてだが様子が違うと言っていた。そんななか、ポツリポツリと立ち寄ってくれる人がいると身内のように感じて、手にとってみてくれている人にはつい話しかけてしまう。私のおしゃべりもセールストークの役には立っているようで、購買率は結構高い。結果、最終的にはまずまずの売り上げになっていた。できたばかりの書籍目録NO.2も手渡せたし、小社のPRの意味で全点を並べられたのもよかった。案外、古い本がよく売れた。いまだに類書が少ないからであろうし、確かに古びることのない読者ニードに触れるからでもあろう。それがすぴか書房らしさなら、商売的な評価は棚上げにして、これからもそうありたいと思う。
 ホテルに戻ったら夜飲みに出ることもなく、バスタブに浸かってひたすら足のマッサージ。腰は大丈夫だったが、ベッドに入ると足がつって困った。帰りの車でも同じ。こうして振り返ると、苦行に類するエピソードばかりが思い浮かぶのに、過ぎてしまえば笑えるのだから、人生はオモシロイ。

No.82

2014年11月某日
 この秋も追いまくられる一方で、ホームページの更新をやり過ごしてしまった。最新刊のアフターケアにも十分手が回らず、横目で気掛かりなまま。昨年の常備店からの返品処理は恒例で後回しにできない。どんどん時間が消えて、デスクワークになると煙草の本数ばかりが増えているのは、まずい。今年も限られた先が見え、もう1点新刊を出して終わることになりそう。変に頑張ったりするから、逆に渋滞を招くのかもしれない。自然態に流れていく、そんな境地で仕事をしたいと思うけれど、つまりは貧乏症なのである。
 刊行点数が10点を超えたところで、創業5年目に目録No.1を作ったことを思い出し、10年目で20冊を超えたのだからと鞭を入れ、目録No.2を製作中。顧みて、全22点中増刷できたのは3点である。ついでに在庫を合計したら1万冊を優に超えているではないか。これ以上増えるのが恐ろしい。教科書として使われないとなかなか捌けないのが実情で、それだけ一人ひとりの購入者をありがたく思うのだが、一般的な読書ばなれはまだ終わらないようだ。この先にどのような事態が待ち受けているのだろう。スマホ一台で何でも足りてしまう、それを疑うことも知らない世界を想像するのはもっと恐ろしい。「金で買えないものはない」と考える精神構造と同じ単純化だ。
 しかし、そんな先の心配より、近頃は売れないことに慣れてぼやくことも忘れている自分のほうがアブナイ? 外野席からは、いまどきこんな文字だらけの本を読む人はいないと言っている声が聞こえる。カバーをもっと派手にして気を引けとか、宣伝文句が難しげで逆効果だとか言われるのも複雑な気持ちだ。確かに「目で見てわかる」図解、イラスト中心には作ってこなかった。でもねえ、売れるための方策より前に、何をもっとも重視して本を作るかは小社のアイデンティティにかかわるわけで、「文字で伝える」こと、日本語で読まれることを第一義に考える基本方針があって、それが編集の仕事の目的にもなっているので、外野席の声とは話がかみ合わないのですよ。この辺りのことをわかり合うのは無理、「人生いろいろ」と言うしか仕方がない。
「読まなければわからない」というのは面倒くさいことである。しかし、その面倒くさいことに敢えて誘う書籍もあるのである。「読んでわかる」ことに価値を置いた出版があり、それに仕える編集の仕事がある。例えば、講演録とか座談会という形式がある。生の録音を商品にすることも可能であるが、それと本とは違う。最低限、読んでわかる文章にする必要がある。話したとおりの記録のように見えても、それはそのように読めるように「話体」で文章化した結果である。一般に、本になるためには、それにふさわしく内容をつくり上げるのが普通だ。河上徹太郎との対談原稿を見事に書き上げてしまった小林秀雄のエピソードなど、その極端な例であるが、念のために言うが、それは捏造とはまったく違う話だ。読者を想定して趣旨がわかるように文章の技を駆使する、きわめてまっとうな仕事である。
 書物にするということの本質は、読むに堪える内容の原型をつくることにある。原型なのだから、簡単に直せてはいけない。奥付に版や刷の日付を記す意味もそこにある。原型を写すのに、今のところ印刷物以上の形態は考えられない。電子書籍は原型の利用形態の違いであって、本物の本を持たなくても読める手段(機械)ができただけで、新しい本ができた訳ではない。だから、電子書籍化に本の未来があるなんて話は馬鹿げている。そもそも、それで読者が増えるのだろうか。ゲームやアプリと利用者の数を競うようになっていくとしたら、出版業は消滅する。配信業者が栄えるだけで書店も消える。いい加減、本物の本で「読書」したい人を置き去りにした話はやめてもらいたい。
 そうは言っても、現代の利便性に対して無視でも拒否でもなく、小社とて電子化への適応を考えている。近々、可能なものから配信の道をつけるつもりである。しかし、これからも「読んでもらえないとわからない本」をつくっていくのだろうな。繰り返し読まれるような本、飽きることのない、繰り返すほどに深く沁み入り、理解を新たにするような本が理想だ。

No.81

2014年9月某日
 これから看護は倫理と管理の時代になる、と言われた某先生の言葉が記憶に残っている。彼女は小社が船出するころには現役を退かれ、今は余生を介護施設で送られているが、直言居士(女性だから大姉と呼ぶべきか)は変わらず、十把一絡げの老人扱いに対する拒否感をはっきりと持ち、時に、一個の存在を主張する便りをいただく。書かれているのは、技術が下手だとかサービスが悪いなどという文句ではない。少々大げさな言い方でまとめるなら、倫理の空洞化と、それを取り繕うかのような管理に対する怒りなのである。
冒頭の話を聞いたのは、20年いや30年近くも前になるだろうか、雑誌の原稿依頼、あるいは特集の相談だったかで伺った時だったと思う。既に科学技術の進歩を手放しでは喜べなくなっていた頃で、医療の世界では、強力なテクノロジーが待望される一方で、それには必ず新しい危険が伴うことから、適用の是非について一様に判断が下せない問題が次々と起きていた。医学の進歩と医療のあり方は、当時、大きな社会問題となって盛んに議論が交わされ、患者の権利、バイオエシックス、インフォームドコンセントなどの言葉が広まっていった。振り返れば、そのあたりを転回点として「21世紀の医療」への道が始まっているように思う。看護の立場でそれらを受け止めると、まさにケアの問題にほかならず、看護の重要性が高まるのは必定と考えられた。病気をみるのではなくて人をみるだとか、キュアではなくてケアが必要なのだとか言う言葉は、看護にとっては追い風であった。事実、看護の役割に対する社会的認知は上がり、今も上昇気流は続いているとみていいだろう(例えば大学の数。まだ増えるらしい)。しかし、もちろん追い風に浮かれてはいられない。医学が問われたことを看護が代わりに引き受けて解決するなんていうわけにはいかないだろうから。そんなふうに安請け合いすることができると考える傲慢は、ケアと矛盾する。看護師が力を増せば増すほど、看護師のあり方が問われることになるだろう。某先生は、それを予言したのである。
 現実はどうか? 予言通り、倫理と管理は、今やもっとも売れるテーマになっている。関連学会への参加者数をみても関心が高いことがわかる。ただ、そこでの言説を聞いていて、少々気になったことがある。倫理までもが、How toとして解決が図られ、結果(効果のエビデンス)を出す研究が求められていたことに対してである。そのような「問題解決」が果たして倫理的なことなのだろうか。「解決できない」問題を認め、直視することこそが倫理学の根源なのではないか。むしろ、不断に「問題化」することを命じているのが倫理なのではないかなどと、もやもやとした違和感を覚えたのである。
 某先生の便りにあった怒りに対して、私には、具体的に答えられることは何もない。人を人として扱うとはどういうことか、考えさせられるだけである。「人を人とも思わない」という言葉がある。そういう人には何を言っても無駄である。「思い知らそう」なんて思ったら怪我をすると思って、自分をなだめるのが一般的に妥当な世間智だと思うが、まさかそれが倫理だとは言えまい。「受けとりようでしょ?」と言われれば、そういう面もあると思う(認知療法は、つまりそういうことなんだろう)。しかし、そう言って済ませるのは、やはり方便で、何か大事なことを見落としてしまうような気もする。

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