編集雑記 No.61〜80
No.80

2014年8月某日
 ようやく一冊新刊予告にこぎつけた。9月中には間違いなく出せるだろう。1年半ぶりはさすがに長い。これで営業できていると言えば、出版はさぞかし楽な商売のように思われてしまうであろうが、自分自身、その通りと開き直ってしまったほうが精神衛生上よろしい。辛がっていてやってられる仕事じゃない。いや、何にせよ仕事というのはそういうもの、と冷静に考えたりもする。昔の林家三平が馬鹿なことを言っては「たいへんなんですから」を連発していた。テレビで目にすると落語ができない下手な芸人のように思ったりもしたが、寄席の高座で間近に感じるオーラは、純粋にオカシイ人に向かって邁進する求道者さながらであった。人を楽にする仕事も楽ではないはずで、「もう、たいへんなんですから」は彼の実感そのものの発露だったかもしれない。そこには何がしか、人生のほろ苦い逆説が混じっていて、ヒューマニスティックな共感が生まれたのではないか。健康的に笑える、ありがたい芸であった。
 閑話休題。今度の本は自作DTP第一号である。文字組み中心に仕上げるなら何とかなる。しかし、操作に習熟して使いこなすまでには果てしなく遠いと思わざるを得ず、それに挑戦することの無理・無謀を悟る経験でもあった。何度も言うが、この種の技術は「何でもできる」「できないことはない」ことを至上命題とする。そう思わせるところが曲者である。「やってはいけないこと」を教えてくれないし、自分で考えて工夫するようにと励ましてもくれない。反省的思考は素早い「検索」に負ける。操作を知れば一瞬に実現する。プロセスに意味はない、「できた!」が勝ちなのである。できることを求めて袋小路に入り込むと、その枝葉はいくつにも分かれていて「こんなこともできます」というメニューが出てくる。それが気になって試したりしていると、結局は時間ばかり食う。つまりはソフトのほうが全能の主人で、こちらはそれにもてあそばれているようなもの。そんな反省を何度かした。
 それに、自分で組み上げたものを自分で校正するのも問題がある。原稿整理もそうだし、校正も、校閲も、他人の目を通すことにこそ本質的な意味があるのである。本づくりの場合、分業は単なる生産の合理化ではなくて、絶対的に欠かせない手間暇なのだということを改めて実感する。
 せっかくある程度は慣れたDTPであるが、付き合いは程々に、パンフレットや広告原稿の製作程度にとどめておくのが妥当だろう。本業の編集者としては、分業すべきは分業し、すぐれたプロの力を借りるのが正しい仕事のあり方だと思う。もちろん、これまでのことが徒労とは思っていない。知ることはプロとの間のやり取りを円滑にするために役立つ。これでも時代への適応の仕方はいつだって考えてきたのである。行動しないのもひとつの適応のつもりだったが、環境の激変と無関係に実業は続けられない。知らないでは済まない。
 しかし、電子書籍化やスマホ対応など次から次へ迫ってくる現状にどう対応すべきか、とても頭が追いつかない。スマホもタブレットもいじったことさえない身には、思うだに憂鬱が増すばかりである。

No.79

2014年7月某日
 土用の入りを過ぎて鰻を食いに行った。丑の日を避けたのに店はいつも以上に混んでいた。数年前、半端じゃなく高騰して、街の鰻屋は「やっていけなくなる」と言われた。今年も値段は高いままだが、昔どおり鰻屋で肝吸い付の鰻重を食えることが、まずは幸せだと思う。鰻というのは他の食い物に比べて、老舗や名店だからといってバカ高い店は少ない。反対に、普通の店の鰻重が安いとも言えない。潔い一品、飯と一緒にかっこむ庶民の贅沢。味だけでなく、この風情が大好きである。
 その鰻が危ないと言う。シラスの乱獲によるらしいが、それは誰のせい? 日本の消費者が食べすぎているからだなどと言ってはいけない。鰻屋で食される蒲焼きがどれだけ増えたというのか。消費量が増えたのは、スーパーに中国産輸入蒲焼きが並び一般家庭での消費を煽っている結果に違いない。「国産」の養殖鰻もシラスは中国からの輸入だと聞く。そのような仕組みこそ、乱獲を促している最大要因なのである。鰻に限らず、消費者は安い餌をばらまかれて、消費させられているという構図がみえる。人の好い鰻屋が、これからも「やっていける」ために完全養殖の「夢」を実現させて欲しいなんて言っているのをテレビで聞いたが、そんな未来を彼はホントに待っているのか? 「夢」が叶って鰻の大量生産が可能になれば、鰻事業は商社の完全コントロール下に置かれる。エビやマグロと同じで、回転寿司や天丼チェーンに鰻丼チェーンが加わるに違いない。街の鰻屋はそれでどんなふうに生き残るのだろう。種を絶滅の危機に追い込んだのは、グローバル商業資本主義の罪なのだと言わなければならない。食欲は生物の自然であり、人間といえども、自然の恵みをありがたくいただくという「仕組み」を作り上げることを、「夢」として語ることはできないのであろうか。
 天然鰻は事実上もう食えなくなってしまった。本来希少な天然資源が自然の成り行きでそうなったのではない。人間が生態系を破壊した結果なのである。本物が獲れなくなっても、品種改良を繰り返して今に至っている農作物と同じでいいじゃないかという考えもあるだろう。しかし、私には養殖の魚について、本物より美味いと思えたためしがない。代替であって改良ではない。これを天然物として出したら「偽物」になるのである。海の幸、山の幸はまさに幸なる賜物である。それを収奪し尽くしたら、あとは科学技術がもたらす人工の幸に置き換わればよいなどという未来論に、私は夢も希望も持てない。
 筆を置くために、やや強引に我が生業に引きつけて考える。小社は親父一人が鰻を割いて焼いて出すまでやっているような小さな鰻屋になぞらえるのが適当だろう。スーパーの輸入パックと変わらないものを出してやっていけるわけがない。もちろん、牛丼の吉野屋で食えるのと同じでも駄目。高くても客が来てくれる鰻重を出すしかない。電子レンジでチンとは違う備長炭で手間暇かけて焼き上げる。それを味わってもらい、違いをわかってもらうしかない。それに、肝心なのはたれ。「秘伝のたれ」を守ってこそ名店になる。さて、これだけは他に真似ができないと言われるようなたれを、これまでに私は熟成させてこれたかどうか?

No.78

2014年6月某日
 相も変わらずカメの歩みを続けている。道を間違えていなければ必ず目的地に到達するという信念は変わらないが、本音を言えば、適当に昼寝しながら楽にカメを追い越しているようなウサギになりたい。「ああ、おまえは何をしてきたのだと、吹き来る風が私にいう」の心境である。
 これまで、著者を助けて本を出すために仕事をしていることを疑ったことはない。昔々、自分のスタンスを問い直して、一般に読者のニードをつかむことが肝心と言われているのに対して、著者のニードを第一に据えようと思った。著者の関心、伝えたい思いを研ぎ澄ますことが、読者の新たなニードを喚起する、ということがありうるだろう。とりわけ専門書の世界では、そうした出版による切磋琢磨が重要なのだ、と。以来、私がしてきたことは「売れる本」を作ることではなく、「売れるかもしれない」本を作ることなのであった。故に、売れるはずの本が想定通り売れることの喜びは知らない。しかし、「かもしれない」ことが実現することもなくはなかった。その主観的喜びをバネに今も仕事を続けているのである。
 著者の本に対するニードと意志を確認して仕事が出発する。編集者は出版への促進役であり、著者の協力者でありたいと思う。その信頼がなければ仕事は進まない。しかし、仕事を具体的に進めるということにおいては、編集者の上位目的は「本」になっているので、本が求めることに従って動く。そうすると、もはや著者に対しては単なる協力者とは言えないかもしれない。著者にも「本」に対する奉仕を求めることになるからである。実際を振り返ってみると、早く出すことよりも、いろいろと関所を設けて、本の完成を遅らせることにエネルギーを使っているようにも思えてくる。そうやすやすと完成させてはならないと踏ん張っているのである。アクセルを踏み込みたいのに、実は一所懸命ブレーキをかけている、この矛盾。原稿を前にしてからは、編集者の仕事はブレーキ役を果たすことに変わると、はっきり認識してしまったほうがいいのかもしれない。組織的な出版社であれば、営業の圧力がアクセルになってバランスがとれる。小社の場合、まさか自分のやっていることがブレーキの利かせすぎとは思わないが、出版社としてアクセル機能に欠陥があるのは確かなようである。

No.77

2014年5月某日
   さしたる感慨もなくやり過ごしてしまったが、5月1日は創業出版2点の奥付に記した発行日として記憶に刻まれている。2004年だったから今年は満10年。一区切りとして、本ホームページ上の会社案内「ご挨拶」だけでも更新しようと考えた。しかし、読み返してみて、いま、創業時の決意以上に付け加えるべき言葉が見つからなかった。10年の経験を礎に次の10年に向けてあふれてくる思いがなければ、生きた言葉にはならない。確かなことは、自分が10歳年をとったということだけである。最早あえて未来を語る年ではない(鬼が鼻で笑うだろう)と思い至る。思いは変わらず、人も変わらないのだから、正直に古い看板をそのまま掲げておくことにする。
未来を語れないのは、しかし、それだけとも違う。ITの席巻による環境の激変、その革命の波に対して、押し戻すことの不可能性を認識するだけで、何も前向きに語れない(語りたくない)からでもある。進化論的に考えると、自然淘汰される絶滅種で終わる覚悟を固めければならないのかもしれないが、そんなことを殊更に表明して何になる。曲がりなりにも今現在が継続できていることを単純に肯定したいと思う。
今日はまた、「グーグルが自動運転車」という新聞の見出しが目に飛び込んできた。「ハンドル・アクセル・ブレーキなし」の試作車が既に走っていて、2020年の実用化が目指されているのだという。何でもありの技術を駆使することで、おそらく実現してしまうのであろう。しかし、掲げられた目的が「自動車に乗っている時間の有効利用」だと聞かされると、知能指数の高い彼らを駆り立てている思想の幼稚さというか、文化的貧困にうそ寒いものを感じざるを得ない。彼らは無人化、省力化イコール人間の自由の拡大である、故に恩恵であるという固定した考え方を安易に採用する。自らの「善意」を疑わない(いや、その振りをしているだけかもしれない)。また、力を持ちすぎることに対する恐れを知らない。そのことが他の価値観を排除し、それを選択する自由を奪うということには無頓着だ。それすなわち新自由主義に呼応する。私の心は、そんな革命思想に共鳴することはなく、不協和音を発するばかりなのである。
トヨタには是非、“FUN TO DRIVE”のスローガンを掲げ続けてほしい。
自動運転車で運転から人間を「解放」しようとする思想が、次に目論むのは「自動読書装置」かもしれない。人間は頁をめくらなくてもよい、読まなくてもよい、考えなくてもよい。すなわち読書の負荷から人間を解放し、その分他のやりたいことに時間を使えるというわけだ。それを支えるのは、考えることは最少に、合理的判断を最速に提供するという「善意」である。今だって、やれカーナビだ、やれスマホだアプリだと、善意あふれる余計なお節介が氾濫している。人は果たして本当にそれらを使いこなしているのだろうか。自ら汗をかかず、また考える労を省くことで「賢く」なっているのだろうか。頼るしかない人間に飼い馴らされているだけではないのか。そして、「想定外」の事故が起きたときの保証はあるのか?
「読書に費やす時間の有効利用」が当たり前のように語られるようになったとしたら……笑えない近未来である。

No.76

2014年4月某日
   「プッツリとスイッチが切れたような状態」という言い回しにぶつかって、思わぬ長考に耽ってしまった。原稿を仕上げるためにプリントを素読み中のこと。プッツリと切れるのは糸や紐であってスイッチではないと、我が国語センサーが点滅を始めたわけである。原稿整理やリライト段階では読み飛ばしていたのだし、文脈上意味を取り違えることもないのだが、変な引っかかりはなくしたほうがいい。「プツッと」ならいいか、いや「プツリ」なのかと、いろいろ入れ替えてみたけれど、どれも完全には落ち着かない。こういう場合の逃げとしては、修飾を省いて単純に「スイッチが切れたような状態」でよしとする手がある。しかしそれだと、著者がその言葉に込めた思いの幾ばくかを切り捨てることになるようで、本意ではない。最善の修正とも言えない。それで辞書にあたることになる。スイッチを切ったり入れたりするときに使われるオノマトペを確かめたかったのだが、わかったのは、普通の国語辞典にはオノマトペの類いはほとんど載っていないということだった。載っているのは副詞化した用法が確立しているか、名詞として使われているような言葉である。例えばポンポンが幼児語でお腹の意味、というように。「プッツリ」はどの辞書にも載っていた。糸などが切れること、また継続していた物事が途絶える様を表わすという意味の説明に違いはなく、「消息が・・・・途絶える」などの例文が添えられている。これで、スイッチの切り替わる様にはマッチしないと感知したセンサーがエラーでないことだけは確かめられた。
 いま、手元には6種類の国語辞書があるが、こうやって目的を持って引きまくってみると、それぞれの特色が見えてきて面白かった。辞書も読むべき本なのである。単なる「字引き」と、辞(ことば)の「書」であり「典」であろうと著わされたものの違いは明白である。後者は、その解説によって読者の考えを刺激する。答えは1つではない。答え方の妙から理解が深まる。言い換えだけのつまらない解説しかないのはつまらない辞書。良い辞書だと、要所を押さえた一言があって「なるほど」とうなずくのである。「ぷっつり」で言えば、先日購入したばかりの三省堂国語辞典第7版(2014.1.10第1刷)では、同じ切れるにしても「強く引っ張られた」ものが切れるのだと補っている。その一言が利いている。しかし、同書には「ぷつり」も「ぷつん」も載っていない。その辺りの言葉がいちばん多く載っていたのは広辞苑(第6版)で「ぷつっと」「ぷっつり」「ぷっつん」「ぷつり」「ぷつんと」が載っている。昔は新明解の主観あふれる語義を「愛読」して喝采を送ったものだが、近頃は、全何巻の大辞典は知らず、辞書は一長一短、その個性を知るべきで、最高の一冊を選ぶということにはならないと思うようになった。何冊あっても多すぎることはない。辞書には頼れない領域があることを知るためにこそ辞書に尋ねる必要があるのである、という逆説をそこに加えてもいいだろう。
 話を、最初の文章の修正に戻す。「プッツリ」の代わりを「プツリ」とするか「プツン」とするか迷った末、結論は「プツンとスイッチが切れた状態」とした。そのとき無理矢理つけた理由もあるのだが、やはり根拠薄弱で揺れる。屁理屈はやめておこう。と言うより、今では、明確な概念以前のカタカナ語表現に何をこだわっているのかと、自分でもあきれる気持ち半分である。

No.75

2014年3月某日
  期限付きで引き受けた臨時の仕事がやっと終わった。3週間ほぼかかりきりで、途中、完了の目途が立たず、しかし、心配しても仕方ない、やるしかないとの経験則に従った。作業は原稿整理とリライト。結果は経験則どおり、それでよかったとも言えるのであるが、最後は、もはやこれまで、タイムアップに合わせて取り繕うしかなかった。心残りが後を引いて、フルコース走りきってゴールした後の解放感とは違う。それだとアルコールの利きも悪いようだ。心身が平常モードに切り替わるのに数日を要した。すぴか書房は1年間新刊が途絶えたまま。出版社の看板が泣いているのはわかっているが、フリー編集者としての仕事も捨てがたい。依頼されると、有難い気持ちが先に立つ。マネジメント感覚ゼロ。過ぎてしまえば、後悔でも反省でもない「甘くはない」人生経験のファイルが1つ増えるだけである。
ということで、中断していた本業のほうの原稿編集作業を再開する。既に月末、世は増税前。当方も、この機に耐用年数を超えているFAXやプリンターの買い換えを考えていたのだが、機種選定に費やす時間がない。すべてパス。そういえば、本の税額も上がるわけなので、駆け込み需要があるのかどうか? 期待するのも忘れていた。たぶん、いいことなんて何もない。5%で定価が2,000円を超えない本体価格1,900円、3,000円を超えない2,800円にしたのに、8%では2,052円、3,024円になってしまう。制作費が確実に上がる。それを単純に本体価格に上乗せすれば、新刊の定価はもっと高くせざるを得ない。中小企業の常套句「価格に転嫁できない」嘆きもわかる。少なくとも、値切れる立場の大企業とは違う。質で勝負する以外にない、その点は何も変わらないわけだが。
読者に見放されないように、現状報告を加えます。新刊に向けて複数の企画が進行中です。製作中が1点、原稿編集中が1点、もう1点も原稿完成のゴールがみえるところまで来ています。この3点は今年の新刊として出せるはずです

No.74

2014年2月某日
  がん看護学会(8日、9日)の新潟に出張した。昨年の開催は金沢で、新刊ほやほやの『外来がん看護』を中心に出展して、まずまずの手応えだった。今回は、それに間に合わせられなかった『ケアリング プラクシス』を加え、他にも関連書籍をみつくろって出荷した。全国から臨床で働くナースが参集する3,000人規模の大学会なので、書店も2つ出てそれぞれ売り場を設けていた。出張の主目的は書店の援軍で、前日の売り場設営から2日目の撤収まで。もはや役立たずの老兵に違いなく、少々気が引けるところもあるのだが、足腰の立つうちは現場に立ちたいと思う。事務所に引きこもって時流に取り残されがちな身には、ずらっと並ぶ他社の本を眺める刺激もたまには必要だ。それに何より読者に直接ふれる機会として貴重である。
 新潟には何回か来たことがあり、忘れがたい思い出もいくつかある。最後の記憶も鮮明なのだが、数えてみたらもう8年もたっている。創業から間もなくの年、新刊本に関係した学会が新潟で続いてあり、出張したのだった。書店は医書専門店の老舗考古堂書店で、営業の勝手がわかっていない新参者に親切に応対してくれた。まず有難かったのは、出展を申し出たものの返品が多くては迷惑をかけることになるので、遠慮がちに出荷の目安を尋ねたのに対して「どーんと送ってください」と、こちらが驚く桁違いの数を言ってくれたこと。その結果は、売れることは売れたのだが、売れ残りも少なくなかった。でも、ベテランのKさんは「売り切れるよりはいい」と平然としている。曰く「売り切れたら、せっかくのお客さんに買ってもらえない。商売の機会を逃すことになる」と。商人魂を教えられた。そして、書店の本質的な良心にふれた思いがした。
 既に現役を退かれたKさんの姿はなかったが、考古堂書店は健在で今回の出展もお世話になった。それで、肝心の売上は如何に? 売れたのである。出張旅費に足を出さずに済んだのは、ずいぶん久しぶりのことである。『ケアリング プラクシス』21冊、『外来がん看護』16冊、その他を含めると合計55冊。出荷は2店合わせて178冊だったので30.9%、目標の目安3割をクリアした。
『ケアリングプラクシス』の売上には、監訳者の遠藤恵美子先生が学会プログラムの教育講演で言及してくださったことが大いに貢献している。「生きていく希望を支えるケアリング」と題したその講演を私は聴けなかった。会場は満員で人が入り口をあふれていて、潜り込む隙もなかったからである。驚いた。学会参加者の多くは治療技術や医学的知識への関心ばかりが高いのだろうと思っていたのは、浅はかな先入観であった。学会の企画全体をみても、本の売れ行きをみても、そうした知識の解説や最新のガイドラインが多くを占めるのは事実だ。しかし、自らが看護師であることの意味を問い、看護の本質を追求したいという熱が冷めてしまったわけではなかったのだ。ケアリングへの関心は、潜在的にはむしろ高まっているのかもしれない。そして、潜在的でしかないのは、出版がそれに応えていないからだとも考えられる。会場に収まりきらない看護師たちの熱気にあてられて、そんな反省を強いられたのだった。読者の目先に餌をぶら下げるような企画ではだめだ。潜在する読者ニードにこたえる、また、それを掘り起こすような出版活動をしていかなければ。

No.73

2014年1月某日
 今年はデジタル元年と決めた。事始めとしてIllustratorとPhotoshopの講習会へ。電車通学で朝から夕方まで、週の半分を費やして基礎コースを修了。DTPの露払いのつもりだったのでその先は急がずに、次はInDesignの基礎から実務研修へと進んだ。どの教室でももちろん最長老で、覚えの悪さが目立ったと思うが、それを恥ずかしがる余裕もなかった。5分前に行なったばかりの操作手順をコロッと忘れている。なまじ理屈はわかっているつもりなのでクリックする場所が見つからないことにいら立つ。「そのわかりにくさがソフトの欠点です」と講師が気休めを言ってくれるのがありがたかった。
できたこと自体を忘れてしまったのではなく、手順を始める目印が見つからないために立ち往生するのである。そこで短気を起こしてはいけない。必要なことはほぼ何でもできるように作られているということをわかっていればなんとかなる。決まっている操作を見つけるだけ。考え込むのではなくハウツーを探せばよい、教わればよい。デジタル仕掛けと付き合うにはその感覚をたたき込むことが肝要と心得る。決められた命令にしか答えられない馬鹿な機械なのだと突き放して、こちらは主人になりきればよいのだ。向こうはただ命令を待っている。目に見えない仕掛けを信じるしかなく機能だけで付き合う相手を好きになれるはずがなかったと、今更悟るのであるが、殊更嫌う相手にするのも愚かなことである。
InDesignも一通りは修了で、さらに電子ブックへの応用など上級コースも用意されているが、それは別に考えたほうがよく、この先は試行錯誤を重ねて習熟してゆくしかない、とのこと。そのとおりやっていくとしよう。ものになるかどうかはわからない。ワープロを使いこなすようになったのと同じようにいくかどうか? しかし、こちらから引導を渡して終わりにするということはないだろう。印刷に至る製作環境がここまで変わってしまい、昔の技術は化石になってしまった。技術の伝承者を目ざしている訳ではない。奥付に編集及出版者と名乗っている。そのように出版の仕事をしたいのだ。そのために必要なことを知らないでは済まないだろう。我が人生を顧みれば、いつだって出遅れだった。それが自分らしさなのだから悔やむ気持ちは起きない。手遅れなんてことも思わない。今がすべて。

No.72

2013年大晦日
 12月は短い。いろいろと積み残したまま年を越える。さらにふり返ると1年の短さ。年の初めから新刊が2点続いたので、今年はあと2点出せるとふんだのだが続かなかった。ついでに、さらにふりかえると創業以来の10年間もあっという間だった。総括なんていう気分にならない。できれば年齢も忘れていたい。そんな状態では新年らしいあいさつがなかなか浮かんでこなくて、賀状作成もグズグズ延ばしになっていた。それでも、書き上げてみれば前向きな自分を確認することができた。書くことの効用である。年内にどうにか間に合って、さっき賀状を投函してきた。以下がその文面。年が明けて本サイトを訪ねてくださる読者各位へ。


謹賀新年 
小社の創業出版は2004年5月でしたから、なんと、もう十年が経ちます。充実した仕事を続けられたことに改めて感謝申し上げます。
しかし、刊行点数21は予定したノルマの半分でしかありません。自ずから現実は厳しく実業家失格を告げています。それでもやってこれたなどと言って慰めるお目出度さは卒業しました。
展望について語るべき言葉を持たない。それなのに、いや、それだから尚更なのか、本物の本と出版への思いは消えません。ほろ苦い決意表明になりますが、もうひと踏ん張りしてみたいと思います。
今年は、デジタル環境に向き合うための学習を自らに課すことにしました。時流に乗れない性格は変わらなくても、時流に流されないために必要なのだと思い定めて、遅ればせながら、「いつやるか? 今でしょ!」
新春早々講習会に通います。自爆のリスクも否定できませんね。しかし、それもまた人生経験、笑って語れる歳ではあります。すべては人生を楽しむ気持ちで!
健康第一。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。
2014(平成26)年 甲午 元旦

No.71

2013年11月某日
 早々に来年の手帳を買った。書店の一角に橋書店と能率協会の手帳が並んだのは年賀状の発売よりも早かった。年末にはまだ早すぎると思っても、多種類ずらっと並んでいると、手に取ってみないではいられない。私にはカレンダーとダイアリー、それ以外にはただの罫線と白の頁だけがあればいいので、選ぶのは結局変わり映えのないシンプルなもの。一般的にもそれが定番らしい。
手帳と言えば、電子ブックよりもずっと前に電子手帳が売り出されたが、いつの間にか廃れた。私はさわったこともない。さらに以前、リフィル式のシステム手帳というのが流行った時代があった。バブル景気に向かう頃ではなかったか。私も皮表紙のブランド品を贈ってもらったことがある。そのときは嬉しくなって、リフィルをあれこれ物色して自分流の一冊に仕立てた。しかし楽しめたのはそこまで。便利に使いこなした記憶はない。スケジュールが埋まるような生活でもなかったので自然とお蔵入り。もちろん「できる男」にはなれなかった。
スマホの時代になっても、紙に手書きの手帳が買えるのはありがたい。昔は業界関連の情報が載った社名入り手帳をPR用に配布する会社がたくさんあったので、年末になると何冊か手に入ったものだが、近頃は滅多にお目にかからない。不景気の経費削減だけがやめた理由ではあるまい。時代遅れの代物と化しつつあり、有難味が薄れたとの判断もはたらいているはず。当然の判断である。予定を入れたりメモを残したりは携帯でもスマホでもできるし、住所録にしろ、アラームにしろ、機能だけみれば紙の手帳をはるかに超えているわけで、自分を棚に上げて言うと、下を向いて親指を動かしている人ばかりになってしまったのだから。手帳の必要度が激減したのは事実である。しかしどっこい手帳はなくなっていない。昔懐かしい品が今も細々と生き残っているのとは違う。最新版として派手に売られているのを見ると、しっかりと商売になっているに違いない。
冒頭に名前をあげた2大ブランドとも文具メーカーではない。書店が主な売り場になっていて、客は立ち読み感覚で品定めをしている。書店に足を運ぶ人は本が好きで、できれば手にとってみたい人たちだ。本というものに、電子的手段では代替できない使用価値を認めている人たちなのである。そこにヒントがありそうだ。新刊本と同じように来年の手帳が平積み展示されているのは、明らかに、そんな彼らのニードにふれる演出である。書店で買う手帳は文具とは微妙にずれる。そういえば、書店よりも前に、「文房具屋」と呼ばれた店が町から消えてしまっていることにも気づくのだが。
ペーパーレスを謳うIT万能時代に、書くという身体行為の満足を求めるのは贅沢なことなのかもしれない。しかし、であればこそ、それを求める人はなくならないし、贅沢の味が知られれば需要が喚起され、世代を超えて、むしろこれから増えていくと考えたっていいわけだ。現に、ある絶対数の需要が確実に存在するという事実を認めることも重要だ。そんなユーザーに応えることを第一に、すべてが新しい手段にとって代わられていく現代の状況を逆説的な商機ととらえて、積極的に商品の提供に励んできたメーカーが成功しているのではないだろうか。
使用者のほうに目を向けると、お仕着せのサービス品をあてにするより、自前で気に入ったものを購入したいと思う気持ちが強いはずだ。新しいユーザーは、わざわざ使う贅沢を味わいたくて購入するのだから、なおさらだろう。実質消耗品のメモ帳と考えると馬鹿高い支出になるが、それとは比較にならない。やはり本に似ている。自分で所有して読む楽しみ、書き入れる楽しみに対する投資だ。読みこなせない、使いこなせないで終わる、無駄のリスクも同じ。

 No.70

2013年10月某日
 月末、何を記したらいいか、ペンを手にしたまま思いが定まらない。実を言うと、いつだって書き出しはそうだし、脱線した話の一行に引きずられて内容が決まってしまい、大概、当初意図したのとは別の話で終わる、つまりは雑記でしかないのであるが。明るい話題を探しても何も思いつかないので困っている。仕方がない、芳しからざる事実報告から始める。
今月は返品が売上を超えてしまった。前期の常備返品は覚悟の上、なんとか片付け終わって、それは別にしての数字だから痛い。普通返品の中に今年の新刊2点の返品が相当数混じっていたためである。新刊委託期限は半年で、それを過ぎているのだけれど、杓子定規に受け取りを拒否することはできない。
 新刊の売り上げ実績は十年前に比べると軒並み2〜3割落ちている。売れない企画のせいにして片付けてしまうわけにはいかない。もちろん、言い訳や慰めの種を探すのとは違う。もっと大きな問題が迫っているという客観的事実に対する認識である。それは、仕事の質を保証する信念とは別に、仕事を継続するための舵取りに具体的に関わってくる。
 大学も看護系だけは増え続けていて医療・看護・介護職人口は増えている。しかし、本の売り上げがそれに比例しているとはとても思えない。実質的にこの世界の読書人口比がどれくらい落ちているのか、知るのが怖い。先日、某学会に出展して一日店番をしたが寂しいものだった。特に、学生さんらしき群れは、見向きもしないで素通りする。彼らの無視、無関心を嘆くより、心配するより、こちらがガラパゴス化したような錯覚に陥った。いや、錯覚ではなくて、まさに時代が変わったことと、それに対する抵抗勢力としてのおのれの無力さが肌身に沁みたのだった。一般大学生のデータが発表されているが、読書時間の平均が一日30分に満たないとか、この1か月間まったく本を読んでいない学生や1冊も買っていない学生が半分近いとか、空恐ろしい数字である。電子ブックがそれに含まれているかどうかは知らない。彼ら学生はスマホで勉強しているというのか?私には信じられない。私の押し売りに負けて(?)買ってくれたのは大学院生だった。彼女に聞くと「本はアマゾンの学生割引で買う」と言う。それにもまた憮然……。
 本ばなれ、出版産業の危機について、これまでどれだけ語られてきただろう。多くは出版に関わるマスコミが伝え、それをネタにした本が立て続けに出た。そういう話題に関心を寄せる読者だけは多いらしく(かく言う自分もその仲間)。蛸が自分の足を食べて太ろうとしているような図だ。しかし、いくら騒ぎ立てても向かうべき確かな方向は定まらないし、共鳴や支持が広がっているようにもみえない。所詮は商売上の話でしかなく、危機に瀕しているのは出版社の既得権益にすぎないと受け取られているからだろう。それなら一般人には他人事でしかあるまい。そうではない本質があるのに。利害損得を離れた、出版文化に対する保守思想がなぜもっと語られないのだろう。常々そう思っていたので、新潮45(11月号)の新聞広告の中に「世界に誇る日本の出版文化を壊すな」とあるのが目にとまり、早速買って読んだ。書いているのは藤原正彦。我が事として語る明快なる直言、異議なしである。
 誰でも簡単に本が作れますという手段が手に入り、また、ネット空間では誰でも簡単に「著作」を発表している現代。これから先、出版社の「出版物」がその中に埋没してしまうなら、出版文化、いや有史以来の文字文化が終わるであろう。皮肉なことに、出版点数だけ見るなら幾何級数的に増え続けた結果としてそうなるのである。巨大アマゾンに利潤をさらわれて、町から書店が消えてゆく。本屋を知らずに「不便を感じない」人々、アマゾンになければ「無い」とされてしまい、違う手段を探そうともしない人々のほうが多数派になる。そうなれば出版が支えてきた文化の終わりである。

No.69

2013年9月某日
  原稿を読んでいて、かつて同じ問題を扱ったことがあるのを思い出した。自分が編集した雑誌のバックナンバーを引っぱり出して確かめた。それは30年近くも前の号で、懐かしさ半分、拾い読みしていくと、書かれていることは今でもほとんどそのまま通用するように思えた。編集者に先見の明があったと思いたいところだけれど、結局、人間には進歩がない、同じことの繰り返しなんだなーと溜息をついて終わった。参考文献として著者に提供しようかとも思ったが、歴史が主題でないのであれば、30年前の論考に言及する必然もないであろうと思ってやめた。その時ついでに、編集後記に自分が何を書いているかみてみた。すると、当時会社の電話機がダイヤル式からプッシュホンに変わったことに対して「何が便利なものか」と毒づいていて、「ダイヤル電話に不便を感じたことは一度もない」なんて言っているのである。私はその頃から反進歩主義者で、新しいものに対してずっと同じようなことを言っているわけだ。我ながらまさに進歩がない、変わらない人間の見本がさらけ出されていることに苦笑するしかなかった。このまま無力なボヤキの人で終わるのか。情けない話である。
 時代が変わり、科学の進歩によって生活環境が変わっても、人間が抱えている問題は変わらなくて、同じような議論が何度も繰り返されているということについては、一般雑誌をみても感じることである。私はこの頃、特に目的もなく目についた古雑誌を手に取ることがある。読み捨てにできなかったのがウン十年間も書棚の下の方に詰め込まれたままなので、それに手が伸びるのである。色が変わり手触りも違う頁をめくるのは、最新号を読むのとはまったく別種の楽しみ。自分の書棚で古本になるまで寝かせておいて、頃合いをみて引き抜いて再び味わう。古酒を味わうような贅沢ではないか。まあそれは物好きの言うことで、一般的な感覚ではないだろうけれど、最近、同年輩それも文学部だった友人がKindleを買って、本を「邪魔くさい」と言い捨てたのには少々ショックを受けている。・・・そんな話はさておき、本題に戻る。ここで一般と呼んだのは中央公論や展望などに載った論文のことなのだが、若いころ神経を尖がらかせて読んだはずの論文が、割とすんなりよくわかるのである。青二才に比べれば、脳細胞は衰えても年の功が勝るということなのかもしれない。わかり方の重心が知識志向から「そのとおりだ」とか「つくづくわかる」と感得することのほうへ移動しているのは確かだ。今読んで「よくわからない」のならば、たいして意味のない理屈をこねているだけ、そうした論は泡のように消えていくと思えばいい。それに対して、本質的なことを論じているならば、時代が変わっていても色あせない。むしろ今になってよくわかるということもある。著者の問題意識にこちらが追いついたのであろう。そこで論じられているテーマに数学の定理を証明するような正解はないはず。これからも問題であり続けるに違いない。論者が次々現われて、同じ説教を言葉を変えて繰り返す。読者も世代交代するのでそれでいいのだ。しかし読者の側で考えれば、目新しい言説を追いかけるより、過去の文献に学ぶほうが実り多いということは、もっと強調されてしかるべきだと思う。すなわち温故知新。何度でも繰り返す。何度繰り返しても新しい学びがある。古典が生き続けるというのはそういうことなのだ、と考えてすっきりした。

No.68

2013年8月某日
  まさしく酷暑の夏であった。身の危険を覚えて夏休みを決めた。1週間の山暮らし。その完全休業期間が入ったせいか、やけに早くひと月経ってしまったように感じるが、夏バテもなく秋を迎えられるといい。
体重が2キロ近く増えていた。ビールの消費量がカロリー制限を超えたのだろう。それに正直に反応するのだから、身体機能が正常に保たれている証拠だと、都合よく肯定的に納得する。もう10年続いている定期受診の際にそう言ったら、栄養士はそういう主観的評価には同調しかねるようだったが、医者は笑っていた。
血糖値にしろ血圧にしろ、近頃は診断基準となる検査値のバーがどんどん下げられている。病気の予防と言いながら、実際は病気を増やしているのではないかと疑いたくなる。メタボ健診を勧められてもまったく心が動かない。リスクマネジメントと健康管理はイコールで結ばれるものなのかどうか?
異常値を出さないようにコントロールすることが、あるいは異常値を正常値に戻すことが健康管理だと考えると、すべては検査結果が出てから始まることになる。しかし、自分の健康なのだから、検査データによる保証以前に、自分でそれを感じることが大事なのではないだろうか。私は検査を受けるときいつも、どう変化しているか結果を予測してみる。もちろん、厳密に的中するなんてことはないけれど、変化の傾向くらい当てられないはずはないと思っている。第一の健康センサーは自分自身であって、客観的データと自分の健康感覚にずれがないことが確かめられれば、それは1つの安心になる。
予想外の異常値が出たとすれば、その変化の理由を知りたい。それに対応する自覚症状を探り、「そういえば・・・」と言って納得しようとする。不節制によって悪いデータがもたらされたと推測できるなら、節制によって改善する可能性があるということで、希望はある。
昔、糖尿病の教育入院病棟を取材したとき、何事も自分流の理屈を付けて合理化しようとする人がいて、そういう人がいちばん「難しい患者」だというような話を看護師から聞いた。まるで自分のことを言われているみたいな気がして、内心苦笑するしかなかった。何も反論できなかったが、彼が間違っている訳ではないから説得も教育も難しいことになるのだろう。絶望的なデータをみても悔い改められない彼は、おそらく希望を捨てたくないのだ。現在、糖尿病の療養指導に関する本にかかっているのであるが、そんな「難しい患者」の援助こそやりがいと思えるような本にしたいと思う。著者には「難しい編集者」だと思われてしまっているだろうか。

No.67

2013年7月某日
 7月は当社の期末。出先在庫の切り替えをした。出先在庫とは、書店から注文が入ったらすぐに出荷してもらえるように、取次にあらかじめ相当数を在庫してもらっていること。最初に納品した分の請求はその時できなくて、一定期間経過後に売れ残り分を返品として記帳してから請求するのが決まり。それを我が社の場合1年後、期末に合わせて行なうことにしている。来期も続けるための更新手続きが「出先切り替え」である。これまでの実績をみて取次が新たな在庫部数を決め、それに合わせて新たに納品する。先日、必要数を揃えて運び終えた。来期の出先在庫は各30〜50冊で計690冊。今期は710冊だったので、発行点数が増えた割に増えていないのは、去年50冊だったのが30〜40冊に、40が30に減らされたものが多いからである。古い本の売れ行きが落ちていくのは自然なので文句は言えない。期待通りのヒットが出ないのが痛い。そうであればなおさら生産点数を増やさなければ追いつかないのが道理だが、それすなわち自転車操業。この歳で今更そんな危険にのめり込む気力も体力もない。自然増に持ち込めなければ“じり貧”なわけで、厳しい数字である。
出先在庫分の請求書を出したところで今期の総売り上げが確定した。大まかな暗算に漏れはないはずで、税理士の決算を待つまでもなく、赤字の拡大を止めることはできなかった。
今月も飛び込んでくるのは滅入るようなニュースばかりである。同じ嘆きの繰り返しにしかならないので、もう言うまいと思っているのだが、やはり書いてしまう。書店の数が依然減り続けている。岩波が六法全書の発行をやめたという。経営状況が苦しいのも事実のようだ。我が世代感覚として“岩波文化”の終わりに対して感傷にふけることはないが、それが出版文化の終焉と重なるとなると平静ではいられない。その代わりに力強い何かが生まれてきたのだろうか。東京国際ブックフェアの初日(7月3日)、角川グループ会長角川歴彦氏の基調講演「出版業界のトランスフォーメーション」を聞いた。要するに、既存大企業体が電子化、グローバル化の時代にどう脱皮を図るか、取り組みの現状を語られたのだが、アマゾンひとり勝ちがますます進むことへの危機感だけはリアルに伝わってきたが、その将来像に出版の希望を託せるとは思えなかった。角川は社名をKADOKAWAに変えた。ネット上のトップメッセージで「ローカルな出版社からグローバルに展開するエンターテイメント総合企業への変貌を目指してまいります」と言っている。世の趨勢はそういうことなのであろう。時代の変化とともに変貌を遂げなければ発展はないと考える企業経営者に異を唱えるつもりはない。ただ、私とはあまりに遠い話だ。エンターテイメント総合企業にしか未来が開かれていないとすれば、そういう社会に対して楽天的にはなれないし、文化(あえて伝統と言おうか)の変質を憂える気持ちのほうが強い。

No.66

2013年6月某日
 ときどき思い出す言葉に「しつらい」というのがある。この世界に入った最初、今言うところのプリセプター役を買って出てくれたのが一世代上の先輩で、その彼がよく口にした。原稿の内容にふさわしいしつらいを考える。こちらのイメージしたしつらいに照らして原稿に修正を求めることもある。本として、あるいは雑誌の誌面として最適を目指すときのキーワードの1つであった。しかし、企画会議や編集会議などで事々しく話題になることはなく、職場の机(仕事の現場)で身内のコミュニケーション用であった。その人との間で何か伝わるものがあればそれでよかったような気がする。辞書を引くと「整理する」とか「飾り付ける」とかの意味が載っているけれど、私が受け取っていたニュアンスを伝える説明ではない。レイアウトや装丁のデザインとも違う。
  デザインという言葉なら完全に一般語化しているし、デザイナーを名乗るプロが様々な分野で増え続けている。例えば、インターネットの世界ではWebデザイナー。Web編集者ではない。今や編集者は「お呼びでない」人になりつつあるのではないか? そもそも編集とは何をすることなのか、一般の人にはまずわかられていない。編集者自身にも明確な共通認識があるかと言えば、かなり怪しい。今や、「しつらい」なんて言葉を交わす相手はいない。どこかの職場で交わされているとも考えづらい。若かりし頃、私はそれを自分の言葉として使っていたわけではない。プロの経験が詰まった言葉として聞き、何が追求されているのか理解しようとしただけである。そのうち自分のスタイルを自覚するようになる。そして、この歳になってみれば、あいまいだが含みのある和語の指す意味がつくづくわかるのである。
  改めて編集上の用語として意味を考えてみると、編集者のセンスということになるのではないかと思う。センスの違いについては、まともに議論されることはまずない。自明な者にとっては自明だし、センスは感じるもので、良し悪しを論じるのは野暮、言わぬが花ということもある。好き嫌いの主観を抜きには語るのも難しいので、いい加減で済ますのが、まあ無難な知恵なのだろう。しかし実のところ、自分の中ではそれが評価軸として常に意識されてくるわけで、決していい加減では済んでいない。それこそが仕事を動機づけ、自己満足をもたらす。自分が売れない本を作り続けていることの言い訳がほしいのではない。売れる「結果を出す」ことの満足が格別なことはよく知っている。それとこれとは別の話だ。
 ただ、何でも一元的に結論づけようとする近頃の風潮では、編集者のセンスなんて言っても「それって何?」と煙たがられるだけかもしれないという心配はある。技術化できないこと、客観的根拠のない話には聞く耳を持とうとしないかもしれない。昔なら「売れないけれどいい本だ」と言っても、負け惜しみながら編集者の間では了解し合えた。それが今はそう考えること自体が許されないというような話を聞くと、出版界もそこまで追い詰められてしまったのかと暗い気持ちになる。
  編集者の読みだのセンスだの余計な御世話だという考え方もある。確かに、馬鹿な編集者によって内容が台無しにされるよりはましだということはあろう。原稿データがダイレクトに電子書籍化するのを合理的な進歩と考える人は、ダイレクト万歳!かもしれない。しかし、料理と器や盛り付けの関係、楽譜と指揮者や演奏者の関係を考えればわかるはずだ。同じ楽譜であっても、誰がどのように媒介するかによって大いに異なる。それゆえ演奏者も鑑賞者も最高を求めて自己を投入する。それが文化、つまり物事の文(綾)を生むのである。合理化では済ませられない次元がある。「しつらい」という言葉、つまりセンスはそのことに関係している、と考える。そしてセンスこそ究極のアナログであろう、とも。

No.65

2013年5月某日
 久しぶりに池袋ジュンク堂を自由散歩して何冊か買い込んだうちの一冊『神保町の窓から』(栗原哲也著、影書房)を読んでいたら、国立国会図書館のデジタルアーカイブ構想に対する懸念、もっと直截に言えば不快感を表明した「国会図書館の堕落」と題する文章に出会った。旧い出版人の同類として思いを同じくしたのだが、その中に、読み過ごせない由々しきことが書かれていた。国会図書館の創設の理念「真理は(引用ママ)われらを自由にする」が「知識はわれらを豊かにする」に変えられていた、というのである。 ほんとうか?
「真理がわれらを自由にする」と言えば、羽仁五郎が起草したという国立国会図書館法の前文にある歴史的にも有名なテーゼである。(それを知ったのは、高校生だったか大学生になっていたか、羽仁の岩波新書『ミケルアンジヂェロ』だった。勇ましい文体にアジられてロマン的心情を高ぶらせたことを正直に告白しておく。)国会図書館のホームページを開いてみた。“理念”をクリックすると「真理が・・・」の言葉が掲げられている。これをみると公式に看板が掛け替えられたわけではなさそうだ。で、次に「知識は・・・」の言葉で検索してみたところ、国立国会図書館開館60周年記念シンポジウム(2008.11.19)が「知識はわれらを豊かにする―国立国会図書館が果たす新しい役割―」というタイトルで開催されたこと、その挨拶で館長(当時)の長尾真が「今後のわれわれが目指すべき方向」として「知識はわれらを豊かにする」というビジョンを掲げたと述べていることがわかった(記録集のPDFによる)。理念が変えられたというのは、このことを指していたわけだ。当の文章も読み直してみたら、その長尾が打ち出したビジョンに対する物言いとして書き起こされているので、こちらの早とちりと言えなくもない。しかし、誤解の余地を残す言い回しであることは否定できない。その時その場で聞けば間違いなく伝わることも、時が経ち背景抜きに取り出されると意味がすり替わってしまうことがある。特に引用は「正しい引用」を心がけないといけない。実際あたってみると、危ない例に結構ぶつかるものである。
 さて、問題はその国会図書館の新しいビジョンであるが、技術屋がデジタル情報技術化のフィールドを得て血道を上げる姿しか浮かばない。「真理がわれらを自由にする」と「知識はわれらを豊かにする」では格調に雲泥の差がある。「知識は・・・」の意味の貧しさは、何のための豊かさかを問う精神性がないことによる。それを標語にしてしまうのには、意味を問わない情報化による数量的成果主義の臆面のなさを感じる。理数的秀才集団による独善的な“グーグルの思想”に通じるものだ。長尾館長は交代して、現サイトの中にその言葉は見当たらないけれど、現館長の挨拶文を読むと「前館長の卓越したリーダーシップを引き継ぎ・・・」とあるので、危惧は晴れない。「情報ネットワーク」の言葉の下に、出版活動によって財として生み出される本も、インターネット上に吐き出される「つぶやき」も区別なく知識量として蓄積されることが人間の「豊かさ」となるのかどうか?
 本があって図書館が生まれたという順序を忘れてもらっては困る。無際限の情報化が本を殺すかもしれない。図書館がそのお先棒を担ぐなんて、おかしい。図書館の現場、司書の人たちはどう考えているのだろう。その声を聞きたいと思う。

No.64

2013年4月某日
 PR用のチラシや頁の間に差し込むスリップなど、いわゆる小物の印刷を頼んでいた印刷所の社長から、廃業を知らせる電話があった。先日の新刊発行時に世話になったばかりだが、厳しい事情は察しがつくので、そう驚きはしなかった。しかしそれゆえ猶のこと、灯がまた1つ消えてゆくのを見送るしかない寂しさが募る。小社にとっては3社目の付き合いだった。最初は古くからの町の印刷屋で、近所ではそこだけが残っていたのだが、社長が病に倒れて間もなく終わった。次に電話帳で探して訪ねたところは、親切に安く引き受けてくれたが、それが本筋の仕事ではなかったので、他を探すよう勧められた。それで、3社目を本文を発注している印刷所に紹介してもらったのだった。インターネットで探せばよいと考えを切り替えるより、私は、そういう便利さは最後の手段に回したいと思っている古い人間である。直接足を運べる距離にあって顔を知った相手と仕事をしたい。ローカルなリアル世界で生きていたいのだが、だんだんそれも叶わなくなってきた。次のあてはなく、顔の見えない取引先でも見つけなければなるまいと検索してみた。ダンピングを競うような情報があふれている。しかし、どうも載っているメニューでは、こちらのニーズにかなった融通を利かせることは難しいみたいなのである。大した金額にならない小ロットの仕事をやりたくはないのだ。一般的な商売の論理でそうなることに文句はつけられない。というより、高性能プリンターが普及した現在、小ロット印刷は社内プリントで済ます傾向が一般化して外注のニーズが激減したことのほうが先立つ現実であって、その結果メニューから外されたとみるのが正しいだろう。つまり商売の業態を変えざるを得ない現実のほうが圧倒的なのだ。それに適応できなければ、先の社長のように廃業を選ばなければならない。後を継がせられない、自分の代でけりを付けると決めた彼は、従業員のこれからを考えてあげる責任もあり、これ以上引きずらないほうがよいと決断したという。彼と私の違いは、1人だけの身軽さで通してきたことだけだ。
 出版も現実の波に圧倒されているのは同じである。どんどん海岸線が削られて島の面積は縮小を続けている。売上も出版社も書店も減り続けるなかで、変えてはならないものを守りつつ、現実を乗り越えていく業態に脱皮できるかどうかが問われている。しかし、目先の商売だけが声高に語られ、デジタル手段の餌をぶら下げられて右往左往している現状を見る限り展望は暗い。図書館の未来もしかり。国の文化政策、教育政策も同じだ。グーグル黒船問題も本質的にはちっとも解決していない。
 私が考えても大状況に対してまったく無力なのはわかっているし、具体的に何の策も打てていない身で大口をたたけないけれど、ただ波にのまれて消えてゆくだけという諦観の手前にとどまりたい。じり貧の小状況で、まだ矛を収めないのは、現実を見届けてやれという思いと、どんなに細くとも道を途切れさせたくないという思いによる、と言っておこう。我ながら、しつこい性格なのである。

No.63

2013年3月某日
 2013年3月某日
 突然、目がやられ鼻がやられて花粉の襲来を知る。以来、朦朧としたアタマのまま。どうも春というのは、観念的に望まれるウキウキ感より精神身体的には憂鬱感の方が勝るようだ。それにしても今年は特に、季節の変化が乱暴すぎやしないか。急激な気温の上下、西からの有害物質混じりの強風。凍死者を出した猛吹雪。記録的な積雪量。それなのに東京では異例に早い開花宣言。新刊『ケアリング プラクシス』が出来上がったのが開花宣言の前日で、製本所で受け取って予約注文者に直接届けたり、取次への搬入やらで車で都内の桜並木を走ったけれど、花の気配など感じなかった。それでニュースを聞いても一部の馬鹿桜だろうと思っていた。もう満開を迎えているらしいが、まだ半信半疑、勝手に先を越されてしまったようで、花に誘われる気分がわいてこない。
しかし、気づいたことがある。自宅からの通勤途上、見通しのいい道から数十メートル遠目に桜の大木が見えていて注目しているのだが、それが今もって黒い影のままなのである。枯れているのか? 今朝はじめてそのことに思い至った。別のところに見えるもう1本の若木の方はピンクの色を増しているのだから、やはりおかしい。近くに寄って確かめてはいないが、老木には厳しすぎる冬だったのか。これから春が盛り新緑が燃え立つ中で、黒い枝のまま動かない裸木を想像するのは寂しい。毎年目を楽しませてくれていたあの桜木のイメージが、私の中で春の指標になっていたのだ。その狂いが自然の変化への同調を妨げていたのかもしれない。
 『ケアリングプラクシス』の奥付発行日は4月1日。当初、2月のがん看護学会に間に合わせる予定で進めていたので、何回も書き換えた末である。全頁組み上がってからの最終段階でこれだけ手間取ったということについては、当然反省点も多いのだが、反省を連ねても自虐的な恥さらしにしかならない。それよりも、ミスという現象には別のところにもっと本質的な問題が潜んでいるのではないか、ということを考え始めている。何か月か前の雑記で、完璧であることの不可能性と校正が絶対に必要なことを確認したけれど、そのもっと先の人間心理にふれなければ解けない何かがあるような気がしてきたのだ。完成に至らせたくないという深層心理があるのかもしれない。小社刊『本心と抵抗』で笠原氏が展開している幸福否定の理論に触発されてひらめいたのであるが、腑に落ちることが確かにある。しかし肝心なのは、だとするとどうしたらいいかである。心理療法に頼るべき悩みとは違う。自らの仕事の経験知としてどう整理できるか、冴えない頭で考えを巡らせている。

No.62

2013年2月某日
 今年2冊目の新刊が出て一息つく気分で、その案内を載せるのに合わせて雑記に向かうつもりであったが、そうは問屋が卸してくれずに1月は疾うに過ぎてしまった。今月もずるずると経過して、まだけりがつかない。本日は4校を戻して、索引を作成中。先は見えているので、せめて近刊予告のニュースだけはアップしておく。ということで、定価決定に踏み切った。
 一向に冴えない実績をみれば、部数の見込みに強気を張れる元気はない。かといって、モノとしての本へのこだわりは捨てられないので、品質を落として原価を切り詰めるわけにもいかない。品質抜きに、ものづくりの満足はあり得ない。身の丈を超えたぜいたくはできないという制約の中で最適を求める。それは趣味とは異なる仕事としての楽しみを伴う模索なのであるが、近頃は楽しむ余裕が逼迫して悩むことの方が多い。
 定価算定式に、出された見積もりを代入して決める。悩みを知らない初期の頃は、その方針を通してきた。余計な頭を使わないで済ませるように決めた算定式なのに、その通りに意思決定できなくてぐずぐずしてしまうのだからおかしい。算定式を変えることもできない。要するに、経営者失格なのだろう。
 今回、頁数が多くて厚い本になるので、用紙の選択は十分吟味して(大いに迷った末、と言った方が正しい)発注した。ところが、見返しに指定した紙の色が廃番になっていて、在庫も払底とのこと。一般によく使われているし、特殊な色でもないのに。紙の種類よりもサンプルの色を重視して選んだもので、まさに「これ!」と思っていたので、他に同じ色味を探し出せなくて困った。以前にも、増刷時に、初刷の時にあった紙がなくなっていて違う紙に替えざるを得ないということがあった。書籍用紙や、製本・装丁に使われる特殊紙の多彩なことに、日本の紙文化は大したものだと思っていた。本という文化的生産物にとって印刷文化と紙文化は本質的な意味をもつ。印刷の方は先に技術革新の嵐を経て活版とグラビアが絶滅に近い(私には、それが合理化・高速化・簡便化であって、印刷文化の進歩とは決して思えないのだが)。紙も今や、印刷用紙が減るとともに既製品の廃番が増える一方だと聞くと、選択肢が減って文化的な貧しさに向かっているような心細さを覚える。本も、写真や映画のフィルムがなくなってしまいそうなのと同じ危機がせまっているのだろうか?
 絶対にそれは防がなければならないと思うけれど、需要が減れば工業製品は廃れるという事実は動かし難い。小さなユーザーの身ではいかんともしがたく、積極的にできることは、使えるうちに使う、それだけなのである。

No.61

2012年12月某日
 印刷所へ出向いて出張校正。新刊『外来がん看護』を下版。これで我が手を離れて印刷・製本に回り、後は出来上がりを待つだけ。今日のところは、もって瞑すべしで解放された気分を味わいたい。今日のところはなどと留保付きなのは、今回はずいぶん手をかけてキレイな原稿データにして入稿したので「再校で責了」を目論んだのだが、そうは問屋が卸さず、確かにゲラを真っ赤に汚すことはなく順調に進みはしたものの、それゆえ逆に、校正を繰り返すたびに何かしら赤字の種が見つかるという事実が改めて強く心に刻まれてしまったからである。だから、出来上がりを待つ間は、重大ミスの見落としがないことを祈るしかなく怖さ半分なのである。出来たばかりの本を手にとって、矯めつ眇めつ頁をぱらぱらめくると、途端にミスが目に飛び込んでくる。校了したばかりの現時点で予測するのもおかしいが、経験則では決まってそうなるし、同業者に聞いてもまんざら私だけの話ではないようなのだ。この不思議には何かある。心理学的な研究テーマとして追究されているなら知りたいものだ。
 しかし、経験を積むほどに、そして現実には完璧があり得ないということを知れば知るほど、校正(広義には校閲を含む)が絶対に欠かせない工程であるということがわかってくる。この場合、「絶対に」というのが大事である。例えば誤植訂正率などの統計的データをもって作業の有用性や能率を評価したりコストパフォーマンスを言ったりすることは意味がない。なぜなら、原稿が完璧に近ければ近いほど訂正は少なくなる道理だし、また、赤字を入れることが少ないからといって校正にかかる時間が比例して減ることもないからだ。必要な訂正が見つからなかった場合、校正作業は無駄だったのだろうか。そんなことは決してない。保証する目を通したことは、本の意味と価値において本質的に重要なことなのである。みえる間違いの訂正は数えることができる。目を通した証拠にもなる。間違いがないことを保証するのは難しい。目を通した証拠に何を示せばよいのだろう。アルバイトで校正・校閲を請負った際、赤がまったく入らないで終ってしまうと落ち着かないものだ。すぐれた原稿ほど訂正が少ないのはもちろんだが、だから校正の手間が省けてよいということにはならない。むしろ、玉にキズを残さぬよう、さらに入念に時間をかけてしまうのが現実である。少なくとも、モノとして残る厚さも重さもある紙の本の価値は、効率では測れない絶対的な作業工程と何重もの職業意識によって維持されているのである。
 そんなモノづくりに共通のモラル、あるいは職業意識が健在であることを信じたい。しかし、そうも言っていられない現実もみないわけにいかない。電子組版の今日、活字を人が拾った昔のような文選・植字の間違いはあり得ないとなれば、完全原稿をデータで入れれば校正は不要だという理屈が成り立つ。そのことと校正という工程が省かれることとの意味は違うのであるが、若い人たちの理解を得るのは難しい。次々に現われる新しい手段に振り回されて原則が骨抜きになり、あいまいなままどこへ流されていくのだろうか。
 コストを省けるダイレクトが無条件によいことのように思われている。中間が果たす役割が顧みられない。要は、無駄を省くことと、必要な手間をかけることとのバランスなのであるが、必要を不要にすることが進歩だと疑わない進歩主義者との間では、ますます話が通じにくくなっている。それでも、一人ねちねちと続けている我々は主観的に吠えているだけで、印刷業や紙屋さんなどが受けている風の厳しさに比べると、まだいいのかもしれない。年末の回顧はしない。よって来年の展望も語らない(語れない)。先日、新刊案内のチラシを届けてくれた印刷屋は同い年だった。お互い頑張りましょうと肩をたたき合ったけれど、ひらき直った笑顔がささやかな希望だ。

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